初代フェルナンディナ伯爵とは|紋章皿に刻まれた人物と家系
2026.08.06 08:47
初代フェルナンディナ伯爵とは|紋章皿に刻まれた人物と家系
一枚の皿から、一人の人物へ
日本で確認された紋章皿の中央には、伯爵冠を戴く大きな複合紋章が描かれています。
この紋章の所有者として特定されたのが、初代フェルナンディナ伯爵、ゴンサロ・ホセ・エレーラ・イ・サンタ・クルスです。
ゴンサロは、単に爵位を持つ富裕者ではありませんでした。
ハバナの市政に携わり、カディス議会ではフロリダ代表を務め、スペイン王室にも仕えました。また、複数の勲章を受けるなど、その経歴は一つの分野だけでは説明できません。
皿に描かれた紋章、伯爵冠、王室侍従の鍵、勲章は、彼の家系だけでなく、ハバナ社会とスペイン王権の中で築かれた地位を視覚化したものと考えられます。
人物プロフィール
名前
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
ゴンサロ・ホセ・エレーラ・イ・サンタ・クルス
論文では、紋章を構成する四家系に対応する系譜的表記として、次の名前が記されています。
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
生没年
1761年5月14日、ハバナ生まれ
1818年5月3日、ハバナで死去
父
Miguel Antonio Herrera y Chacón
ミゲル・アントニオ・エレーラ・イ・チャコン
母
Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
ルイサ・サンタ・クルス・イ・サンタ・クルス
爵位
初代フェルナンディナ伯爵
先行称号:カサ・エレーラ子爵
妻
María Josefa Herrera y Zayas Bazán
マリア・ホセファ・エレーラ・イ・サヤス・バサン
第5代ビリャルタ侯爵の娘とされ、ゴンサロとは1786年8月17日に結婚しました。
爵位継承者
José María de Herrera y Herrera
ホセ・マリア・デ・エレーラ・イ・エレーラ
初代の息子で、のちの第2代フェルナンディナ伯爵です。
マドリード国立装飾芸術博物館の資料も、ゴンサロをミゲル・アントニオ・エレーラ・イ・チャコンと、ルイサ・サンタ・クルス・イ・サンタ・クルスの息子として記録しています。
確認できる直系家族
Miguel Antonio Herrera y Chacón
ミゲル・アントニオ・エレーラ・イ・チャコン
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
ルイサ・サンタ・クルス・イ・サンタ・クルス
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
初代フェルナンディナ伯爵
1761–1818
× María Josefa Herrera y Zayas Bazán
第5代ビリャルタ侯爵の娘
1786年結婚
│
└─ José María de Herrera y Herrera
第2代フェルナンディナ伯爵
1785–1864
× Teresa de Garro y Risel
1813年結婚
│
└─ José María Herrera y Garro
第3代フェルナンディナ伯爵
1829–1916
× María Serafina Montalvo y Cárdenas
1857年結婚この家系図は、今回の紋章皿と爵位継承を理解するために必要な直系人物に絞って作成しています。
初代ゴンサロの死後、爵位は息子ホセ・マリア・デ・エレーラ・イ・エレーラへ継承されました。第2代はテレサ・デ・ガロ・イ・リセルと結婚し、その子ホセ・マリア・エレーラ・イ・ガロが第3代フェルナンディナ伯爵となりました。
四つの家系を背負う名前
論文では、初代伯爵の系譜を示す表記として、
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
という名前が記されています。
皿の盾には、この人物を構成する四つの家系、
Herrera
Beltrán de Santa Cruz
Chacón
Beltrán de Santa Cruz
に対応する紋章が組み合わされています。
つまり、皿の中央に描かれた複合紋章は、単なる装飾ではありません。
ゴンサロがどの家系に生まれ、どの血統と社会的基盤を継承した人物だったのかを、一つの盾の中に集約した図像です。
論文も、この皿の紋章を初代所有者の四姓に対応するものとして説明しています。
ハバナの市政からカディス議会へ
ゴンサロは、ハバナの終身市参事を務めました。
さらに、ハバナ市の通常市長、サンタ・エルマンダーの長を歴任し、フロリダ選出の代議員としてカディス議会にも参加しています。
サンタ・エルマンダーは、都市周辺部や農村地域の治安・司法に関わった制度です。
またゴンサロは、スペイン国王に仕える、入室資格を伴う王室侍従でもありました。
その経歴は、次のように複数の領域にまたがっています。
ハバナ市政
├─ 終身市参事
├─ 通常市長
└─ サンタ・エルマンダーの長
スペイン帝国の政治
└─ フロリダ選出・カディス議会代議員
スペイン王室
└─ 入室資格を伴う国王付き侍従ゴンサロは、ハバナの地域社会で権力を持つだけでなく、スペイン帝国の政治と王室にも接続した人物でした。
勲章と王室からの評価
ゴンサロは1815年、王立カルロス3世勲章の年金受給騎士となりました。
また、フランスのヴァンデ百合花勲章も受章しています。
皿の紋章の下には、カルロス3世勲章の標語、
VIRTUTI ET MERITO
が描かれています。
日本語では「徳と功績に」と訳すことができます。
さらに、オリーブと棕櫚の枝が、ヴァンデ百合花勲章のメダルを支える構成になっています。
この皿に記録されているのは、ゴンサロの家系だけではありません。彼個人が王室から受けた評価や栄典まで、食器の装飾として組み込まれているのです。
1816年、フェルナンディナ伯爵となる
1816年5月10日、スペイン国王フェルナンド7世は、カサ・エレーラ子爵位を先行称号として、ゴンサロにフェルナンディナ伯爵位を授与しました。
日本個体と同型の食器サービスは、論文では1816年頃のフランス製磁器と推定されています。
ただし、製造した窯の名称は現在まで特定されていません。
皿には、伯爵冠、王室侍従を示す鍵、カルロス3世勲章、ヴァンデ百合花勲章がそろっています。
このことから、食器サービスは伯爵位成立の前後に、新たな爵位と社会的立場を示す目的で制作された可能性があります。
つまり、この食器は古くから受け継がれてきた一般的な家紋皿ではなく、
新たに成立したフェルナンディナ伯爵家の地位を示すために制作された食器
だったのかもしれません。
現段階では制作を命じた人物や注文記録は確認されていないため、「爵位授与記念」と断定することはできません。しかし、制作年代と図像の内容が、1816年の伯爵位成立と密接に関係している可能性は高いと考えられます。
初代フェルナンディナ伯爵の年表
1761年5月14日
│
└─ ゴンサロ・ホセ・エレーラ・イ・サンタ・クルス
ハバナに生まれる
1786年8月17日
│
└─ マリア・ホセファ・エレーラ・イ・サヤス・バサンと結婚
妻は第5代ビリャルタ侯爵の娘
時期未詳
│
├─ ハバナ終身市参事
├─ ハバナ通常市長
├─ サンタ・エルマンダーの長
├─ フロリダ選出カディス議会代議員
└─ 入室資格を伴う国王付き侍従
1815年
│
├─ 王立カルロス3世勲章の年金受給騎士となる
└─ ヴァンデ百合花勲章を受章
1816年5月10日
│
├─ カサ・エレーラ子爵位を先行称号として
└─ 初代フェルナンディナ伯爵に叙される
1816年頃
│
└─ 紋章食器サービスが制作されたと推定される
1818年5月3日
│
└─ ゴンサロ、ハバナで死去
│
└─ 爵位は息子ホセ・マリアへ継承初代の死後――第2代への継承
ゴンサロは、フェルナンディナ伯爵位を授与されてから約2年後の1818年5月3日に死去しました。
翌1819年、息子ホセ・マリア・デ・エレーラ・イ・エレーラが正式に爵位を継承します。
1819年4月28日
ホセ・マリアに対する王室継承状が発行されました。
1819年7月19日
ホセ・マリアは、入室資格を伴う王室侍従の栄誉について宣誓しました。
1819年7月23日
この出来事が『Diario del Gobierno de La Habana』に掲載されました。
新聞記事では、ホセ・マリアはすでに、
フェルナンディナ伯爵
カルロス3世勲章騎士
騎兵科名誉大佐
として記録されています。
これは、伯爵位が初代の死後に途絶えたのではなく、息子によって引き継がれ、王室との関係も継続していたことを示す記録です。
1819年12月10日
「フェルナンディナ伯爵」が、ハバナの劇場修繕・改良費として102ペソを貸し付けた人物の一覧に掲載されています。
この記事には個人名がなく、爵位名だけが記されています。
当時の爵位継承状況から、第2代ホセ・マリアを指す可能性が高いと考えられますが、この点は推定にとどまります。
1819年12月15日
第2代ホセ・マリアには、スペインのグランデの格式が授与されました。
初代の死後も続いた爵位と食器
1816年頃に初代のために制作されたと考えられる食器サービスは、ゴンサロの死後も、妻や息子を含む伯爵家の中で使用・継承された可能性があります。
ただし、個々の食器が誰に、いつ引き継がれたのかを示す家財目録や相続記録は、現在まで確認できていません。
したがって、初代の死後に食器がどのように扱われたかについては、現存品と家系の継承関係から推測するほかありません。
それでも、爵位が息子へ継承され、王室侍従や勲章に関わる地位も次世代へ続いていたことは、食器サービスが伯爵家の象徴として維持された可能性を考えるうえで重要です。
紋章皿が伝えているもの
この皿は、豪華な食卓を飾るためだけの器ではありません。
中央には、ゴンサロを構成した複数の家系が示され、伯爵冠、王室侍従の鍵、勲章、標語が重ねられています。
そこに記録されているのは、
家系
+
爵位
+
市政上の地位
+
王室との関係
+
個人の勲功です。
初代フェルナンディナ伯爵を、単に「キューバの砂糖貴族」という一つの言葉だけで説明することはできません。
現存資料から見えてくるのは、ハバナの市政、スペイン帝国の議会、王室、勲章制度を横断して活動した人物の姿です。
一枚の紋章皿は、その複雑な立場と家系を、言葉ではなく図像によって今に伝えています。
そして、その皿が日本で再発見されたことによって、初代伯爵とその家族の歴史も、再び読み解かれ始めています。
関連する調査記録
Who Was the First Count of Fernandina? | The Man and Lineage Represented on an Armorial Plate
From a Single Plate to a Historical Figure
At the center of an armorial plate discovered in Japan is a large composite coat of arms surmounted by a count’s coronet.
The owner of these arms has been identified as Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, the first Count of Fernandina.
Gonzalo was not merely a wealthy man who held a noble title.
He participated in the municipal government of Havana, represented Florida in the Cortes of Cádiz, served the Spanish royal household, and received several decorations. His position cannot be explained through a single office or sphere of activity.
The coat of arms, coronet, chamberlain’s key, and decorations painted on the plate appear to visualize not only his lineage, but also the status he attained within Havana society and the Spanish monarchy.
Profile
Name
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
A scholarly study also records the following genealogical form, corresponding to the four families represented in the arms:
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
Birth and Death
Born in Havana on 14 May 1761
Died in Havana on 3 May 1818
Father
Miguel Antonio Herrera y Chacón
Mother
Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
Title
First Count of Fernandina
Preliminary title: Viscount of Casa Herrera
Wife
María Josefa Herrera y Zayas Bazán
She is recorded as a daughter of the fifth Marquis of Villalta. She married Gonzalo on 17 August 1786.
Successor to the Title
José María de Herrera y Herrera
He was Gonzalo’s son and later became the second Count of Fernandina.
The records of the Museo Nacional de Artes Decorativas in Madrid also identify Gonzalo as the son of Miguel Antonio Herrera y Chacón and Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.
Confirmed Direct Line
Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
First Count of Fernandina
1761–1818
× María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Daughter of the fifth Marquis of Villalta
Married in 1786
│
└─ José María de Herrera y Herrera
Second Count of Fernandina
1785–1864
× Teresa de Garro y Risel
Married in 1813
│
└─ José María Herrera y Garro
Third Count of Fernandina
1829–1916
× María Serafina Montalvo y Cárdenas
Married in 1857This family tree is limited to the direct relatives necessary for understanding the armorial plate and the succession to the title.
After the death of the first Count, Gonzalo, the title passed to his son, José María de Herrera y Herrera. The second Count married Teresa de Garro y Risel, and their son, José María Herrera y Garro, became the third Count of Fernandina.
A Name Representing Four Lineages
The scholarly study records the first Count’s genealogical name as:
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
The shield painted on the plate combines the arms corresponding to four family lines:
Herrera
Beltrán de Santa Cruz
Chacón
Beltrán de Santa Cruz
The composite coat of arms at the center of the plate is therefore not merely decorative.
It condenses into a single shield the families from which Gonzalo descended and the lineage and social foundations he inherited.
The study likewise interprets the arms on the plate as corresponding to the four surnames of its first owner.
From Havana’s Municipal Government to the Cortes of Cádiz
Gonzalo served as a perpetual alderman of Havana.
He also held office as ordinary mayor of Havana and as head of the Santa Hermandad, and he participated in the Cortes of Cádiz as a deputy representing Florida.
The Santa Hermandad was an institution concerned with policing and justice in rural areas and the territories surrounding towns.
Gonzalo also served the Spanish king as a royal chamberlain with right of entry.
His career therefore extended across several fields:
Municipal government of Havana
├─ Perpetual alderman
├─ Ordinary mayor
└─ Head of the Santa Hermandad
Politics of the Spanish Empire
└─ Deputy for Florida in the Cortes of Cádiz
Spanish royal household
└─ Royal chamberlain with right of entryGonzalo possessed authority not only within Havana society, but was also connected to imperial politics and the Spanish royal household.
Decorations and Royal Recognition
In 1815, Gonzalo became a pensioned knight of the Royal and Distinguished Spanish Order of Charles III.
He was also awarded the French Decoration of the Vendée Fleur-de-Lis.
Below the coat of arms on the plate appears the motto of the Order of Charles III:
VIRTUTI ET MERITO
It may be translated as “To Virtue and Merit.”
Olive and palm branches also support the medal of the Vendée Fleur-de-Lis decoration.
The plate therefore records more than Gonzalo’s ancestry. It also incorporates into the tableware the honours and royal recognition he personally received.
1816: The Creation of the Count of Fernandina
On 10 May 1816, King Ferdinand VII of Spain granted Gonzalo the title of Count of Fernandina, preceded by the subsidiary title of Viscount of Casa Herrera.
The porcelain service to which the Japanese plate belongs has been attributed in the study to French manufacture around 1816.
The name of the factory or workshop has not yet been identified.
The plate combines a count’s coronet, the key of a royal chamberlain, the Order of Charles III, and the Vendée Fleur-de-Lis decoration.
This combination suggests that the service may have been commissioned around the time the title was created, in order to display the family’s newly established rank and social position.
It may therefore have been:
a porcelain service created to represent the status of the newly established House of Fernandina
No order documents or commission records have yet been found, so it cannot be definitively described as a commemorative service made for the grant of the title.
Nevertheless, its estimated date and heraldic programme strongly suggest a close connection with the creation of the title in 1816.
Chronology of the First Count of Fernandina
14 May 1761
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
is born in Havana
17 August 1786
│
└─ Marries María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Daughter of the fifth Marquis of Villalta
Date unknown
│
├─ Perpetual alderman of Havana
├─ Ordinary mayor of Havana
├─ Head of the Santa Hermandad
├─ Deputy for Florida in the Cortes of Cádiz
└─ Royal chamberlain with right of entry
1815
│
├─ Becomes a pensioned knight of the Order of Charles III
└─ Receives the Vendée Fleur-de-Lis decoration
10 May 1816
│
├─ Receives the preliminary title of Viscount of Casa Herrera
└─ Is created first Count of Fernandina
Around 1816
│
└─ Armorial porcelain service is believed to have been produced
3 May 1818
│
└─ Gonzalo dies in Havana
│
└─ The title passes to his son José MaríaAfter the First Count’s Death: Succession by the Second Count
Gonzalo died in Havana on 3 May 1818, approximately two years after receiving the title of Count of Fernandina.
In the following year, his son José María de Herrera y Herrera formally succeeded to the title.
28 April 1819
A royal letter of succession was issued to José María.
19 July 1819
José María swore the oath connected with the honour of royal chamberlain with right of entry.
23 July 1819
The event was reported in the Diario del Gobierno de La Habana.
The newspaper already described José María as:
Count of Fernandina
Knight of the Order of Charles III
Brevet colonel of cavalry
The report shows that the title did not lapse after the first Count’s death. It passed to his son, together with the family’s continuing connection to the royal household.
10 December 1819
A person identified only as “the Count of Fernandina” appeared in a list of lenders who contributed 102 pesos for the repair and improvement of Havana’s theatre.
The notice gives only the title and does not state the individual’s name.
Given the succession of the title by that date, it probably refers to the second Count, José María, but this identification remains an inference.
15 December 1819
José María was granted the dignity of Grandee of Spain.
The Title and Porcelain Service After the First Count
The porcelain service believed to have been made for the first Count around 1816 may have continued to be used and inherited within the Fernandina family after Gonzalo’s death.
It may have passed into the household of his widow, his son, or both.
No household inventory or inheritance record has yet been found identifying when and to whom each individual piece was transferred.
The later history of the service must therefore be reconstructed from the surviving objects and the succession of the family.
Nevertheless, the continuation of the title, royal household honours, and decorations in the following generation supports the possibility that the service remained an emblem of the family’s identity and status.
What the Armorial Plate Preserves
This plate was not merely intended to decorate an elaborate dining table.
At its center are the families that formed Gonzalo’s lineage, accompanied by a count’s coronet, a chamberlain’s key, decorations, and a royal motto.
What it records is a combination of:
Lineage
+
Noble title
+
Municipal authority
+
Relationship with the royal household
+
Personal honoursThe first Count of Fernandina cannot be adequately described by the single expression “Cuban sugar aristocrat.”
The surviving records instead reveal a man whose career crossed the municipal government of Havana, the parliament of the Spanish Empire, the royal household, and the system of royal decorations.
The armorial plate continues to communicate that complex identity and lineage through images rather than words.
Its rediscovery in Japan has also made it possible to begin reading the history of the first Count and his family once again.
Related Research
The Armorial Plate of the First Count of Fernandina | Research Record of the Example in Japan →
¿Quién fue el primer conde de Fernandina? | El personaje y el linaje representados en un plato heráldico
De un solo plato a una figura histórica
En el centro de un plato heráldico localizado en Japón aparece un gran escudo compuesto, coronado por una corona condal.
El propietario de estas armas ha sido identificado como Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, primer conde de Fernandina.
Gonzalo no fue simplemente un hombre adinerado que poseía un título nobiliario.
Participó en el gobierno municipal de La Habana, representó a la Florida en las Cortes de Cádiz, sirvió en la Casa Real española y recibió varias condecoraciones. Su posición social no puede explicarse mediante un único cargo o ámbito de actividad.
El escudo, la corona condal, la llave de gentilhombre de cámara y las condecoraciones pintadas en el plato parecen visualizar no solo su linaje, sino también la posición que alcanzó dentro de la sociedad habanera y de la monarquía española.
Perfil biográfico
Nombre
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
Un estudio académico registra además la siguiente forma genealógica, correspondiente a las cuatro familias representadas en el escudo:
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
Nacimiento y fallecimiento
Nació en La Habana el 14 de mayo de 1761
Falleció en La Habana el 3 de mayo de 1818
Padre
Miguel Antonio Herrera y Chacón
Madre
Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
Título
Primer conde de Fernandina
Vizcondado previo: vizconde de Casa Herrera
Esposa
María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Está documentada como hija del quinto marqués de Villalta. Contrajo matrimonio con Gonzalo el 17 de agosto de 1786.
Sucesor en el título
José María de Herrera y Herrera
Fue hijo de Gonzalo y posteriormente segundo conde de Fernandina.
La documentación del Museo Nacional de Artes Decorativas de Madrid también identifica a Gonzalo como hijo de Miguel Antonio Herrera y Chacón y Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.
Línea directa confirmada
Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
Primer conde de Fernandina
1761–1818
× María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Hija del quinto marqués de Villalta
Matrimonio en 1786
│
└─ José María de Herrera y Herrera
Segundo conde de Fernandina
1785–1864
× Teresa de Garro y Risel
Matrimonio en 1813
│
└─ José María Herrera y Garro
Tercer conde de Fernandina
1829–1916
× María Serafina Montalvo y Cárdenas
Matrimonio en 1857Este árbol genealógico se limita a los familiares directos necesarios para comprender el plato heráldico y la sucesión del título.
Tras la muerte del primer conde, Gonzalo, el título pasó a su hijo José María de Herrera y Herrera. El segundo conde contrajo matrimonio con Teresa de Garro y Risel, y su hijo, José María Herrera y Garro, se convirtió en el tercer conde de Fernandina.
Un nombre que representa cuatro linajes
El estudio académico registra el nombre genealógico del primer conde como:
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
El escudo pintado en el plato combina las armas correspondientes a cuatro linajes:
Herrera
Beltrán de Santa Cruz
Chacón
Beltrán de Santa Cruz
Por tanto, el escudo compuesto situado en el centro del plato no es un simple elemento decorativo.
Reúne en un solo campo las familias de las que descendía Gonzalo y el linaje y las bases sociales que heredó.
El estudio interpreta igualmente las armas del plato como correspondientes a los cuatro apellidos de su primer propietario.
Del gobierno municipal de La Habana a las Cortes de Cádiz
Gonzalo ejerció como regidor perpetuo de La Habana.
También ocupó los cargos de alcalde ordinario y alcalde de la Santa Hermandad, y participó en las Cortes de Cádiz como diputado por la Florida.
La Santa Hermandad era una institución relacionada con la justicia y la seguridad en las zonas rurales y en los territorios situados alrededor de las ciudades.
Gonzalo fue además gentilhombre de cámara del rey con entrada.
Su trayectoria se extendió, por tanto, por varios ámbitos:
Gobierno municipal de La Habana
├─ Regidor perpetuo
├─ Alcalde ordinario
└─ Alcalde de la Santa Hermandad
Política del Imperio español
└─ Diputado por la Florida en las Cortes de Cádiz
Casa Real española
└─ Gentilhombre de cámara con entradaGonzalo no solo ejerció poder dentro de la sociedad habanera, sino que estuvo vinculado a la política imperial y a la Casa Real española.
Condecoraciones y reconocimiento real
En 1815, Gonzalo fue nombrado caballero pensionado de la Real y Distinguida Orden Española de Carlos III.
También recibió la condecoración francesa de la Flor de Lis de la Vendée.
Debajo del escudo del plato aparece el lema de la Orden de Carlos III:
VIRTUTI ET MERITO
Puede traducirse como «A la virtud y al mérito».
Unas ramas de olivo y palma sostienen además la medalla de la Flor de Lis de la Vendée.
El plato no registra únicamente la ascendencia de Gonzalo. También incorpora a la vajilla los honores y el reconocimiento real que recibió personalmente.
1816: creación del condado de Fernandina
El 10 de mayo de 1816, el rey Fernando VII concedió a Gonzalo el título de conde de Fernandina, precedido por el vizcondado de Casa Herrera.
El estudio atribuye la vajilla a la que pertenece el plato localizado en Japón a una manufactura francesa de alrededor de 1816.
El nombre de la fábrica o del taller no ha sido identificado.
El plato reúne una corona condal, la llave de gentilhombre de cámara, la Orden de Carlos III y la condecoración de la Flor de Lis de la Vendée.
Esta combinación sugiere que la vajilla pudo encargarse alrededor del momento de creación del título, con el propósito de representar el nuevo rango y la posición social de la familia.
Pudo tratarse de:
una vajilla creada para representar el rango de la recién establecida Casa de Fernandina
No se han localizado documentos de encargo ni registros de pedido, por lo que no puede describirse de forma concluyente como una vajilla conmemorativa de la concesión del título.
Sin embargo, su fecha estimada y su programa heráldico sugieren una estrecha relación con la creación del condado en 1816.
Cronología del primer conde de Fernandina
14 de mayo de 1761
│
└─ Nace en La Habana
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
17 de agosto de 1786
│
└─ Contrae matrimonio con María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Hija del quinto marqués de Villalta
Fecha no determinada
│
├─ Regidor perpetuo de La Habana
├─ Alcalde ordinario de La Habana
├─ Alcalde de la Santa Hermandad
├─ Diputado por la Florida en las Cortes de Cádiz
└─ Gentilhombre de cámara con entrada
1815
│
├─ Caballero pensionado de la Orden de Carlos III
└─ Recibe la Flor de Lis de la Vendée
10 de mayo de 1816
│
├─ Recibe el vizcondado previo de Casa Herrera
└─ Es creado primer conde de Fernandina
Hacia 1816
│
└─ Se considera que fue producida la vajilla heráldica
3 de mayo de 1818
│
└─ Gonzalo fallece en La Habana
│
└─ El título pasa a su hijo José MaríaTras la muerte del primer conde: sucesión del segundo conde
Gonzalo falleció en La Habana el 3 de mayo de 1818, aproximadamente dos años después de recibir el título de conde de Fernandina.
Al año siguiente, su hijo José María de Herrera y Herrera sucedió formalmente en el título.
28 de abril de 1819
Se expidió a favor de José María la real carta de sucesión.
19 de julio de 1819
José María prestó juramento por el honor de gentilhombre de cámara con entrada.
23 de julio de 1819
El acontecimiento fue publicado en el Diario del Gobierno de La Habana.
El periódico describía ya a José María como:
conde de Fernandina
caballero de la Orden de Carlos III
coronel graduado de caballería
La noticia muestra que el título no se extinguió tras la muerte del primer conde, sino que pasó a su hijo, manteniéndose también la relación de la familia con la Casa Real.
10 de diciembre de 1819
Una persona identificada únicamente como «el conde de Fernandina» aparece en una lista de prestamistas que aportaron 102 pesos para la reparación y mejora del teatro de La Habana.
El anuncio menciona solamente el título y no indica el nombre de la persona.
Dada la sucesión ya producida para esa fecha, probablemente se refiere al segundo conde, José María, aunque esta identificación continúa siendo una inferencia.
15 de diciembre de 1819
José María recibió la dignidad de grande de España.
El título y la vajilla después del primer conde
La vajilla que se considera realizada para el primer conde hacia 1816 pudo continuar utilizándose y transmitiéndose dentro de la familia Fernandina después de la muerte de Gonzalo.
Pudo pasar a la casa de su viuda, de su hijo o de ambos.
Todavía no se ha localizado ningún inventario doméstico o documento sucesorio que identifique cuándo y a quién se transfirió cada pieza.
La historia posterior de la vajilla debe, por tanto, reconstruirse a partir de los objetos conservados y de la sucesión familiar.
No obstante, la continuidad del título, de los honores de la Casa Real y de las condecoraciones en la generación siguiente permite considerar que la vajilla pudo mantenerse como un emblema de la identidad y la posición de la familia.
Lo que conserva el plato heráldico
Este plato no fue concebido únicamente para decorar una mesa suntuosa.
En el centro aparecen las familias que formaban el linaje de Gonzalo, acompañadas por una corona condal, una llave de gentilhombre de cámara, condecoraciones y un lema real.
Lo que registra es la combinación de:
Linaje
+
Título nobiliario
+
Autoridad municipal
+
Relación con la Casa Real
+
Honores personalesEl primer conde de Fernandina no puede describirse adecuadamente mediante la única expresión «aristócrata azucarero cubano».
La documentación conservada revela, en cambio, a un hombre cuya trayectoria atravesó el gobierno municipal de La Habana, las Cortes del Imperio español, la Casa Real y el sistema de condecoraciones.
El plato heráldico continúa transmitiendo esa identidad y ese linaje complejos mediante imágenes, y no mediante palabras.
Su redescubrimiento en Japón ha permitido comenzar a leer de nuevo la historia del primer conde y de su familia.
Investigaciones relacionadas
Qui était le premier comte de Fernandina ? | L’homme et la lignée représentés sur une assiette armoriée
D’une assiette à un personnage historique
Au centre d’une assiette armoriée retrouvée au Japon figure un grand blason composite surmonté d’une couronne comtale.
Le propriétaire de ces armoiries a été identifié comme Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, premier comte de Fernandina.
Gonzalo n’était pas simplement un homme fortuné détenteur d’un titre de noblesse.
Il participa au gouvernement municipal de La Havane, représenta la Floride aux Cortes de Cadix, servit la Maison royale espagnole et reçut plusieurs décorations. Sa position sociale ne peut être expliquée par une seule charge ou un seul domaine d’activité.
Le blason, la couronne comtale, la clé de chambellan et les décorations peints sur l’assiette semblent représenter non seulement sa lignée, mais également la place qu’il avait acquise au sein de la société havanaise et de la monarchie espagnole.
Profil
Nom
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
Une étude universitaire donne également la forme généalogique suivante, correspondant aux quatre familles représentées dans les armoiries :
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
Naissance et décès
Né à La Havane le 14 mai 1761
Décédé à La Havane le 3 mai 1818
Père
Miguel Antonio Herrera y Chacón
Mère
Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
Titre
Premier comte de Fernandina
Titre préalable : vicomte de Casa Herrera
Épouse
María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Elle est mentionnée comme fille du cinquième marquis de Villalta. Elle épousa Gonzalo le 17 août 1786.
Successeur au titre
José María de Herrera y Herrera
Fils de Gonzalo, il devint ensuite le deuxième comte de Fernandina.
Les documents du Musée national des Arts décoratifs de Madrid identifient également Gonzalo comme le fils de Miguel Antonio Herrera y Chacón et de Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.
Lignée directe confirmée
Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
Premier comte de Fernandina
1761–1818
× María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Fille du cinquième marquis de Villalta
Mariage en 1786
│
└─ José María de Herrera y Herrera
Deuxième comte de Fernandina
1785–1864
× Teresa de Garro y Risel
Mariage en 1813
│
└─ José María Herrera y Garro
Troisième comte de Fernandina
1829–1916
× María Serafina Montalvo y Cárdenas
Mariage en 1857Cet arbre généalogique se limite aux parents directs nécessaires pour comprendre l’assiette armoriée et la succession du titre.
Après la mort du premier comte, Gonzalo, le titre passa à son fils José María de Herrera y Herrera. Le deuxième comte épousa Teresa de Garro y Risel, et leur fils, José María Herrera y Garro, devint le troisième comte de Fernandina.
Un nom représentant quatre lignées
L’étude universitaire donne pour le premier comte la forme généalogique suivante :
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
L’écu peint sur l’assiette combine les armoiries correspondant à quatre lignées :
Herrera
Beltrán de Santa Cruz
Chacón
Beltrán de Santa Cruz
Le blason composite placé au centre de l’assiette n’est donc pas un simple décor.
Il réunit dans un seul écu les familles dont Gonzalo descendait, ainsi que la lignée et les fondements sociaux dont il avait hérité.
L’étude interprète également les armoiries de l’assiette comme correspondant aux quatre noms de famille de son premier propriétaire.
Du gouvernement municipal de La Havane aux Cortes de Cadix
Gonzalo exerça la fonction de régidor perpétuel de La Havane.
Il fut également alcalde ordinaire de la ville et responsable de la Santa Hermandad, et participa aux Cortes de Cadix en qualité de député de la Floride.
La Santa Hermandad était une institution chargée de la sécurité et de la justice dans les zones rurales et les territoires entourant les villes.
Gonzalo servit également le roi d’Espagne comme gentilhomme de la Chambre avec entrée.
Sa carrière s’étendait donc à plusieurs domaines :
Gouvernement municipal de La Havane
├─ Régidor perpétuel
├─ Alcalde ordinaire
└─ Responsable de la Santa Hermandad
Politique de l’Empire espagnol
└─ Député de la Floride aux Cortes de Cadix
Maison royale espagnole
└─ Gentilhomme de la Chambre avec entréeGonzalo détenait une autorité au sein de la société havanaise, tout en étant lié à la politique impériale et à la Maison royale espagnole.
Décorations et reconnaissance royale
En 1815, Gonzalo devint chevalier pensionné de l’Ordre royal et distingué espagnol de Charles III.
Il reçut également la décoration française de la Fleur de Lys de la Vendée.
Sous les armoiries de l’assiette apparaît la devise de l’Ordre de Charles III :
VIRTUTI ET MERITO
Elle peut être traduite par « À la vertu et au mérite ».
Des branches d’olivier et de palmier soutiennent également la médaille de la Fleur de Lys de la Vendée.
L’assiette ne conserve donc pas seulement l’ascendance de Gonzalo. Elle intègre également dans son décor les honneurs et la reconnaissance royale qu’il reçut personnellement.
1816 : création du comté de Fernandina
Le 10 mai 1816, le roi Ferdinand VII d’Espagne accorda à Gonzalo le titre de comte de Fernandina, précédé du titre subsidiaire de vicomte de Casa Herrera.
L’étude attribue le service de porcelaine auquel appartient l’assiette conservée au Japon à une production française des environs de 1816.
Le nom de la manufacture ou de l’atelier n’a pas encore été identifié.
L’assiette réunit une couronne comtale, la clé d’un gentilhomme de la Chambre, l’Ordre de Charles III et la décoration de la Fleur de Lys de la Vendée.
Cette combinaison suggère que le service a pu être commandé autour de la création du titre afin de représenter le nouveau rang et la position sociale de la famille.
Il pourrait donc s’agir :
d’un service de porcelaine créé pour représenter le rang de la nouvelle maison de Fernandina
Aucun document de commande ou registre de fabrication n’a encore été retrouvé. Il n’est donc pas possible de le définir avec certitude comme un service commémorant l’octroi du titre.
Sa date estimée et son programme héraldique suggèrent néanmoins un lien étroit avec la création du comté en 1816.
Chronologie du premier comte de Fernandina
14 mai 1761
│
└─ Naissance à La Havane
de Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
17 août 1786
│
└─ Mariage avec María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Fille du cinquième marquis de Villalta
Date indéterminée
│
├─ Régidor perpétuel de La Havane
├─ Alcalde ordinaire de La Havane
├─ Responsable de la Santa Hermandad
├─ Député de la Floride aux Cortes de Cadix
└─ Gentilhomme de la Chambre avec entrée
1815
│
├─ Chevalier pensionné de l’Ordre de Charles III
└─ Reçoit la Fleur de Lys de la Vendée
10 mai 1816
│
├─ Reçoit le titre préalable de vicomte de Casa Herrera
└─ Est créé premier comte de Fernandina
Vers 1816
│
└─ Le service de porcelaine armoriée aurait été produit
3 mai 1818
│
└─ Gonzalo meurt à La Havane
│
└─ Le titre passe à son fils José MaríaAprès la mort du premier comte : la succession du deuxième comte
Gonzalo mourut à La Havane le 3 mai 1818, environ deux ans après avoir reçu le titre de comte de Fernandina.
L’année suivante, son fils José María de Herrera y Herrera lui succéda officiellement.
28 avril 1819
Une lettre royale de succession fut délivrée à José María.
19 juillet 1819
José María prêta serment pour l’honneur de gentilhomme de la Chambre avec entrée.
23 juillet 1819
L’événement fut publié dans le Diario del Gobierno de La Habana.
Le journal présentait déjà José María comme :
comte de Fernandina
chevalier de l’Ordre de Charles III
colonel breveté de cavalerie
Cette mention montre que le titre ne disparut pas après la mort du premier comte, mais qu’il fut transmis à son fils, en même temps que se poursuivait la relation de la famille avec la Maison royale.
10 décembre 1819
Une personne identifiée uniquement comme « le comte de Fernandina » figure dans une liste de prêteurs ayant fourni 102 pesos pour la réparation et l’amélioration du théâtre de La Havane.
L’avis ne mentionne que le titre et ne donne aucun nom.
Compte tenu de la succession déjà intervenue à cette date, il s’agit probablement du deuxième comte, José María, mais cette identification demeure une déduction.
15 décembre 1819
José María reçut la dignité de grand d’Espagne.
Le titre et le service après la mort du premier comte
Le service de porcelaine que l’on pense avoir été réalisé pour le premier comte vers 1816 a pu continuer à être utilisé et transmis au sein de la famille Fernandina après la mort de Gonzalo.
Il a pu rejoindre la maison de sa veuve, de son fils, ou des deux.
Aucun inventaire domestique ni document de succession identifiant la date et le destinataire de chaque pièce n’a encore été retrouvé.
L’histoire ultérieure du service doit donc être reconstruite à partir des objets conservés et de la succession familiale.
La continuité du titre, des honneurs de la Maison royale et des décorations dans la génération suivante permet néanmoins d’envisager que ce service ait continué à servir d’emblème de l’identité et du statut de la famille.
Ce que conserve l’assiette armoriée
Cette assiette n’était pas uniquement destinée à décorer une table somptueuse.
En son centre figurent les familles composant la lignée de Gonzalo, accompagnées d’une couronne comtale, d’une clé de chambellan, de décorations et d’une devise royale.
Elle conserve la combinaison de :
Lignée
+
Titre nobiliaire
+
Autorité municipale
+
Relation avec la Maison royale
+
Honneurs personnelsLe premier comte de Fernandina ne peut être décrit de manière satisfaisante par la seule expression « aristocrate sucrier cubain ».
Les documents conservés révèlent plutôt un homme dont la carrière traversa le gouvernement municipal de La Havane, les Cortes de l’Empire espagnol, la Maison royale et le système des décorations.
L’assiette armoriée continue de transmettre cette identité complexe et cette lignée par l’image plutôt que par les mots.
Sa redécouverte au Japon a également permis de recommencer à lire l’histoire du premier comte et de sa famille.
Recherches associées
Chi fu il primo conte di Fernandina? | L’uomo e il lignaggio rappresentati su un piatto araldico
Da un singolo piatto a un personaggio storico
Al centro di un piatto araldico individuato in Giappone compare un grande stemma composito sormontato da una corona comitale.
Il proprietario di queste armi è stato identificato come Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, primo conte di Fernandina.
Gonzalo non fu semplicemente un uomo facoltoso titolare di un titolo nobiliare.
Partecipò al governo municipale dell’Avana, rappresentò la Florida alle Cortes di Cadice, servì la Casa reale spagnola e ricevette varie decorazioni. La sua posizione sociale non può essere spiegata attraverso un solo incarico o ambito di attività.
Lo stemma, la corona comitale, la chiave da gentiluomo di camera e le decorazioni dipinte sul piatto sembrano rappresentare non soltanto il suo lignaggio, ma anche la posizione raggiunta all’interno della società avanese e della monarchia spagnola.
Profilo
Nome
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
Uno studio accademico registra inoltre la seguente forma genealogica, corrispondente alle quattro famiglie rappresentate nello stemma:
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
Nascita e morte
Nato all’Avana il 14 maggio 1761
Morto all’Avana il 3 maggio 1818
Padre
Miguel Antonio Herrera y Chacón
Madre
Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
Titolo
Primo conte di Fernandina
Titolo preliminare: visconte di Casa Herrera
Moglie
María Josefa Herrera y Zayas Bazán
È documentata come figlia del quinto marchese di Villalta. Sposò Gonzalo il 17 agosto 1786.
Successore nel titolo
José María de Herrera y Herrera
Figlio di Gonzalo, divenne successivamente secondo conte di Fernandina.
La documentazione del Museo Nacional de Artes Decorativas di Madrid identifica inoltre Gonzalo come figlio di Miguel Antonio Herrera y Chacón e Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.
Linea diretta confermata
Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
Primo conte di Fernandina
1761–1818
× María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Figlia del quinto marchese di Villalta
Matrimonio nel 1786
│
└─ José María de Herrera y Herrera
Secondo conte di Fernandina
1785–1864
× Teresa de Garro y Risel
Matrimonio nel 1813
│
└─ José María Herrera y Garro
Terzo conte di Fernandina
1829–1916
× María Serafina Montalvo y Cárdenas
Matrimonio nel 1857Questo albero genealogico è limitato ai parenti diretti necessari per comprendere il piatto araldico e la successione del titolo.
Dopo la morte del primo conte, Gonzalo, il titolo passò al figlio José María de Herrera y Herrera. Il secondo conte sposò Teresa de Garro y Risel, e il loro figlio, José María Herrera y Garro, divenne il terzo conte di Fernandina.
Un nome che rappresenta quattro lignaggi
Lo studio accademico registra il nome genealogico del primo conte nella forma:
Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz
Lo scudo dipinto sul piatto combina le armi corrispondenti a quattro lignaggi:
Herrera
Beltrán de Santa Cruz
Chacón
Beltrán de Santa Cruz
Lo stemma composito al centro del piatto non è quindi un semplice elemento decorativo.
Riunisce in un unico scudo le famiglie da cui Gonzalo discendeva, nonché il lignaggio e le basi sociali che aveva ereditato.
Lo studio interpreta inoltre le armi del piatto come corrispondenti ai quattro cognomi del suo primo proprietario.
Dal governo municipale dell’Avana alle Cortes di Cadice
Gonzalo ricoprì la carica di regidor perpetuo dell’Avana.
Fu inoltre alcalde ordinario della città e responsabile della Santa Hermandad, e partecipò alle Cortes di Cadice come deputato della Florida.
La Santa Hermandad era un’istituzione legata alla giustizia e alla sicurezza nelle aree rurali e nei territori circostanti le città.
Gonzalo servì anche il re di Spagna come gentiluomo di camera con diritto d’ingresso.
La sua carriera si estese pertanto in diversi ambiti:
Governo municipale dell’Avana
├─ Regidor perpetuo
├─ Alcalde ordinario
└─ Responsabile della Santa Hermandad
Politica dell’Impero spagnolo
└─ Deputato della Florida alle Cortes di Cadice
Casa reale spagnola
└─ Gentiluomo di camera con diritto d’ingressoGonzalo esercitò autorità nella società avanese, mantenendo al contempo legami con la politica imperiale e la Casa reale spagnola.
Decorazioni e riconoscimento reale
Nel 1815, Gonzalo divenne cavaliere pensionato del Reale e Distinto Ordine Spagnolo di Carlo III.
Ricevette inoltre la decorazione francese del Giglio della Vandea.
Sotto lo stemma del piatto compare il motto dell’Ordine di Carlo III:
VIRTUTI ET MERITO
Può essere tradotto come «Alla virtù e al merito».
Rami d’ulivo e di palma sostengono inoltre la medaglia del Giglio della Vandea.
Il piatto non conserva dunque soltanto l’ascendenza di Gonzalo. Integra nella decorazione del servizio anche gli onori e il riconoscimento reale che egli ricevette personalmente.
1816: creazione della contea di Fernandina
Il 10 maggio 1816, re Ferdinando VII di Spagna concesse a Gonzalo il titolo di conte di Fernandina, preceduto dal titolo sussidiario di visconte di Casa Herrera.
Lo studio attribuisce il servizio di porcellana al quale appartiene il piatto conservato in Giappone a una produzione francese databile intorno al 1816.
Il nome della manifattura o del laboratorio non è stato identificato.
Il piatto riunisce una corona comitale, la chiave di un gentiluomo di camera, l’Ordine di Carlo III e la decorazione del Giglio della Vandea.
Questa combinazione suggerisce che il servizio possa essere stato commissionato intorno al momento della creazione del titolo, allo scopo di rappresentare il nuovo rango e la posizione sociale della famiglia.
Potrebbe dunque trattarsi di:
un servizio di porcellana creato per rappresentare il rango della nuova Casa di Fernandina
Non sono stati ritrovati documenti di commissione o registri d’ordine, per cui non è possibile definirlo con certezza come un servizio commemorativo della concessione del titolo.
La datazione stimata e il programma araldico suggeriscono tuttavia uno stretto legame con la creazione della contea nel 1816.
Cronologia del primo conte di Fernandina
14 maggio 1761
│
└─ Nasce all’Avana
Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
17 agosto 1786
│
└─ Sposa María Josefa Herrera y Zayas Bazán
Figlia del quinto marchese di Villalta
Data non determinata
│
├─ Regidor perpetuo dell’Avana
├─ Alcalde ordinario dell’Avana
├─ Responsabile della Santa Hermandad
├─ Deputato della Florida alle Cortes di Cadice
└─ Gentiluomo di camera con diritto d’ingresso
1815
│
├─ Cavaliere pensionato dell’Ordine di Carlo III
└─ Riceve il Giglio della Vandea
10 maggio 1816
│
├─ Riceve il titolo preliminare di visconte di Casa Herrera
└─ È creato primo conte di Fernandina
Intorno al 1816
│
└─ Si ritiene sia stato prodotto il servizio araldico di porcellana
3 maggio 1818
│
└─ Gonzalo muore all’Avana
│
└─ Il titolo passa al figlio José MaríaDopo la morte del primo conte: la successione del secondo conte
Gonzalo morì all’Avana il 3 maggio 1818, circa due anni dopo aver ricevuto il titolo di conte di Fernandina.
L’anno seguente, il figlio José María de Herrera y Herrera gli succedette formalmente.
28 aprile 1819
Fu emessa a favore di José María la lettera reale di successione.
19 luglio 1819
José María prestò giuramento per l’onore di gentiluomo di camera con diritto d’ingresso.
23 luglio 1819
L’avvenimento fu pubblicato nel Diario del Gobierno de La Habana.
Il giornale descriveva già José María come:
conte di Fernandina
cavaliere dell’Ordine di Carlo III
colonnello graduato di cavalleria
La notizia dimostra che il titolo non si estinse dopo la morte del primo conte, ma passò al figlio, insieme al proseguimento dei rapporti della famiglia con la Casa reale.
10 dicembre 1819
Una persona identificata unicamente come «il conte di Fernandina» compare in un elenco di finanziatori che prestarono 102 pesos per la riparazione e il miglioramento del teatro dell’Avana.
L’avviso riporta soltanto il titolo e non indica il nome dell’individuo.
Considerando che a quella data la successione era già avvenuta, probabilmente si riferisce al secondo conte, José María, ma tale identificazione resta un’inferenza.
15 dicembre 1819
José María ricevette la dignità di Grande di Spagna.
Il titolo e il servizio dopo la morte del primo conte
Il servizio di porcellana che si ritiene realizzato per il primo conte intorno al 1816 potrebbe aver continuato a essere utilizzato e trasmesso all’interno della famiglia Fernandina dopo la morte di Gonzalo.
Potrebbe essere passato alla casa della vedova, del figlio o di entrambi.
Non è stato ancora individuato alcun inventario domestico o documento successorio che specifichi quando e a chi venne trasferito ogni singolo pezzo.
La storia successiva del servizio deve quindi essere ricostruita attraverso gli oggetti superstiti e la successione familiare.
La continuità del titolo, degli onori della Casa reale e delle decorazioni nella generazione seguente consente tuttavia di ipotizzare che il servizio sia rimasto un emblema dell’identità e della posizione della famiglia.
Ciò che il piatto araldico conserva
Questo piatto non era destinato soltanto a decorare una tavola sontuosa.
Al centro compaiono le famiglie che formavano il lignaggio di Gonzalo, accompagnate da una corona comitale, una chiave da gentiluomo di camera, decorazioni e un motto reale.
Esso conserva la combinazione di:
Lignaggio
+
Titolo nobiliare
+
Autorità municipale
+
Rapporto con la Casa reale
+
Onori personaliIl primo conte di Fernandina non può essere adeguatamente descritto con la sola espressione «aristocratico saccarifero cubano».
La documentazione superstite rivela invece un uomo la cui carriera attraversò il governo municipale dell’Avana, le Cortes dell’Impero spagnolo, la Casa reale e il sistema delle decorazioni.
Il piatto araldico continua a comunicare questa identità complessa e questo lignaggio attraverso le immagini anziché le parole.
La sua riscoperta in Giappone ha inoltre permesso di iniziare a leggere nuovamente la storia del primo conte e della sua famiglia.
Ricerche correlate
Akane
heritageresearch
アーモリアル陶磁器と紋章文化を、個人研究として記録・考察しています。 いつか、おばあちゃんになったら、静かなミニ紋章ミュージアムを開くのが夢です。


