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初代フェルナンディナ伯爵とは|紋章皿に刻まれた人物と家系

初代フェルナンディナ伯爵とは|紋章皿に刻まれた人物と家系

初代フェルナンディナ伯爵とは|紋章皿に刻まれた人物と家系

一枚の皿から、一人の人物へ

日本で確認された紋章皿の中央には、伯爵冠を戴く大きな複合紋章が描かれています。

この複合紋章は、博物館資料や研究論文では、初代フェルナンディナ伯爵ゴンサロ・ホセ・エレーラ・イ・サンタ・クルスに関連するものとして説明されています。

ゴンサロは、単に爵位を持つ富裕者ではありませんでした。

ハバナの市政に携わり、カディス議会ではフロリダ代表を務め、スペイン王室にも仕えました。また複数の勲章を受けるなど、その経歴は一つの分野だけでは説明できません。

皿に描かれた複合紋章、伯爵冠、王室侍従を示すとされる鍵、勲章などの図像は、彼の家系と、スペイン王室との関係や栄典を読み解く手がかりになります。

人物プロフィール

名前

Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
ゴンサロ・ホセ・エレーラ・イ・サンタ・クルス

博士論文では、紋章を構成する四家系に対応する系譜的表記として、次の名前が記されています。

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

生没年

1761年5月14日、ハバナ生まれ
1818年5月3日、ハバナで死去

Miguel Antonio Herrera y Chacón
ミゲル・アントニオ・エレーラ・イ・チャコン

Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
ルイサ・サンタ・クルス・イ・サンタ・クルス

爵位

初代フェルナンディナ伯爵
先行称号:カサ・エレーラ子爵

María Josefa Herrera y Zayas Bazán
マリア・ホセファ・エレーラ・イ・サヤス・バサン

第5代ビリャルタ侯爵の娘とされ、ゴンサロとは1786年8月17日に結婚しました。

爵位継承者

José María de Herrera y Herrera
ホセ・マリア・デ・エレーラ・イ・エレーラ

初代の息子で、のちの第2代フェルナンディナ伯爵です。

マドリード国立装飾芸術博物館の資料も、ゴンサロをミゲル・アントニオ・エレーラ・イ・チャコンとルイサ・サンタ・クルス・イ・サンタ・クルスの息子として記録しています。

確認できる直系家族

Miguel Antonio Herrera y Chacón
ミゲル・アントニオ・エレーラ・イ・チャコン

 × Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
  ルイサ・サンタ・クルス・イ・サンタ・クルス
      │
      └─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
        初代フェルナンディナ伯爵
        1761–1818

        × María Josefa Herrera y Zayas Bazán
         第5代ビリャルタ侯爵の娘
         1786年結婚
           │
           └─ José María de Herrera y Herrera
             第2代フェルナンディナ伯爵
             1785–1864

             × Teresa de Garro y Risel
              1813年結婚
               │
               └─ José María Herrera y Garro
                 第3代フェルナンディナ伯爵
                 1829–1916

                 × María Serafina Montalvo y Cárdenas
                  1857年結婚

この家系図は、今回の紋章皿と爵位継承を理解するために必要な直系人物に絞って作成しています。

初代ゴンサロの死後、爵位は息子ホセ・マリア・デ・エレーラ・イ・エレーラへ継承されました。第2代はテレサ・デ・ガロ・イ・リセルと結婚し、その子ホセ・マリア・エレーラ・イ・ガロが第3代フェルナンディナ伯爵となりました。

四つの家系を組み合わせた複合紋章

博士論文では、初代伯爵の系譜を示す表記として、

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

という名前が記されています。

同論文では、皿の盾を、初代伯爵の四つの姓に対応する家系の紋章を組み合わせたものとして説明しています。

  • Herrera

  • Beltrán de Santa Cruz

  • Chacón

  • Beltrán de Santa Cruz

つまり、中央の複合紋章は単なる装飾ではなく、ゴンサロの系譜を視覚的に示す図像として読むことができます。

ただし、ここでの各区画の帰属は、博士論文および博物館資料による紋章解釈に基づいています。

ハバナの市政からカディス議会へ

ゴンサロは、ハバナの終身市参事を務めました。

さらに、ハバナ市の通常市長、サンタ・エルマンダーの長を歴任し、フロリダ選出の代議員としてカディス議会にも参加しています。

サンタ・エルマンダーは、都市周辺部や農村地域の治安・司法に関わった制度です。

またゴンサロは、スペイン国王に仕える、入室資格を伴う王室侍従でもありました。

その経歴は、複数の領域にまたがっています。

ハバナ市政
├─ 終身市参事
├─ 通常市長
└─ サンタ・エルマンダーの長

スペイン帝国の政治
└─ フロリダ選出・カディス議会代議員

スペイン王室
└─ 入室資格を伴う国王付き侍従

現存する人物史料からは、ゴンサロがハバナの地域社会だけでなく、スペイン帝国の政治や王室にも関わった人物だったことが分かります。

勲章と王室からの評価

ゴンサロは1815年、王立カルロス3世勲章の年金受給騎士となりました。

また、フランスのヴァンデ百合花勲章も受章したとされています。

皿の紋章の下には、カルロス3世勲章の標語、

VIRTUTI ET MERITO

が描かれています。

日本語では「徳と功績に」と訳すことができます。

博士論文では、オリーブと棕櫚の枝によって支えられたもう一つの意匠を、ヴァンデ百合花勲章と関連づけて説明しています。

このように、皿の図像には家系だけでなく、ゴンサロ個人の栄典や王室との関係を示す要素も含まれていると考えられます。

1816年、フェルナンディナ伯爵となる

1816年5月10日、スペイン国王フェルナンド7世は、カサ・エレーラ子爵位を先行称号として、ゴンサロにフェルナンディナ伯爵位を授与しました。

食器の制作年代と制作地については、現在も確定していません。

2023年の博士論文では、同型皿を含む食器サービスを1816年頃・フランス製と分類し、無銘であることや当時のハバナ上流社会におけるフランス文化の影響などから、いわゆる「パリ磁器」の範囲に含める可能性を論じています。

一方、マドリード国立装飾芸術博物館の公開データでは、同型皿CE09258を19世紀とし、制作地については「ドイツ[要確認]」と記載しています。

したがって、現段階では、正確な制作年代、制作地、製造者のいずれも確定していません。

一方で皿には、伯爵冠、王室侍従を示すと解釈される鍵、カルロス3世勲章など、初代ゴンサロが伯爵位を得た時期の地位や栄典と整合する図像が組み合わされています。

そのため、この食器サービスと1816年の爵位成立との関係は、検討すべき重要な仮説です。

しかし、注文記録や制作記録、制作を命じた人物を示す史料は現在まで確認されていません。

したがって、

新たに成立したフェルナンディナ伯爵家の地位を示すために制作された食器だった可能性

は考えられるものの、「爵位授与を記念して制作された」と断定することはできません。

博士論文と博物館データで制作地・年代の記載が異なることからも、この点は今後の調査課題として残ります。

初代フェルナンディナ伯爵の年表

1761年5月14日
│
└─ ゴンサロ・ホセ・エレーラ・イ・サンタ・クルス
  ハバナに生まれる

1786年8月17日
│
└─ マリア・ホセファ・エレーラ・イ・サヤス・バサンと結婚
  妻は第5代ビリャルタ侯爵の娘

時期未詳
│
├─ ハバナ終身市参事
├─ ハバナ通常市長
├─ サンタ・エルマンダーの長
├─ フロリダ選出カディス議会代議員
└─ 入室資格を伴う国王付き侍従

1815年
│
├─ 王立カルロス3世勲章の年金受給騎士となる
└─ ヴァンデ百合花勲章を受章

1816年5月10日
│
├─ カサ・エレーラ子爵位を先行称号として
└─ 初代フェルナンディナ伯爵に叙される

1816年頃
│
└─ 博士論文では食器サービスを
  この頃のフランス製と分類
  ※制作年代・制作地・製造者は未確定

1818年5月3日
│
└─ ゴンサロ、ハバナで死去
  │
  └─ 爵位は息子ホセ・マリアへ継承

初代の死後――第2代への爵位継承

ゴンサロは、フェルナンディナ伯爵位を授与されてから約2年後の1818年5月3日に死去しました。

翌1819年、息子ホセ・マリア・デ・エレーラ・イ・エレーラが正式に爵位を継承します。

1819年4月28日

ホセ・マリアに対する王室継承状が発行されました。

1819年7月19日

ホセ・マリアは、入室資格を伴う王室侍従の栄誉について宣誓しました。

1819年7月23日

この出来事が『Diario del Gobierno de La Habana』に掲載されました。

新聞記事では、ホセ・マリアはすでに、

  • フェルナンディナ伯爵

  • カルロス3世勲章騎士

  • 騎兵科名誉大佐

として記録されています。

これは、伯爵位が初代の死後に途絶えず、息子へ継承されたことを示す記録です。

1819年12月10日

「フェルナンディナ伯爵」が、ハバナの劇場修繕・改良費として102ペソを貸し付けた人物の一覧に掲載されています。

この記事には個人名がなく、爵位名だけが記されています。

当時の爵位継承状況から、第2代ホセ・マリアを指す可能性が高いと考えられますが、この点は推定にとどまります。

1819年12月15日

第2代ホセ・マリアには、スペインのグランデの格式が授与されました。

初代の死後――爵位の継承と食器の行方

爵位については、初代ゴンサロから息子ホセ・マリアへ継承された経緯を史料から追うことができます。

一方、食器サービスが初代の死後に誰の手へ渡り、どこで、どのように使用・保管されたのかは分かっていません。

妻や息子を含む伯爵家の中に残った可能性は考えられますが、個々の食器の継承を具体的に示す家財目録、相続記録、売却記録などは、現在まで確認できていません。

また、こうした記録が当時作成されなかったのか、失われたのか、あるいは未発見・未公開のまま残されているのかも分かっていません。

したがって、初代の死後に食器が伯爵家の中で継続して使用された、あるいは特定の人物に相続されたと断定することはできません。

現在確認されている現存品は複数の所蔵先に分かれていますが、いつ、どのような経路で分散したのかは未解明です。

爵位の継承史と、食器そのものの来歴は、分けて考える必要があります。

紋章皿が伝えているもの

この皿の中央に描かれた紋章は、単なる装飾以上の情報を含んでいます。

博士論文や博物館資料との比較からは、複数の家系に対応するとされる盾、伯爵冠、王室侍従との関係を示すと解釈される鍵、勲章や標語などを読み取ることができます。

皿の図像そのものから読み取れるのは、

家系
+
爵位
+
王室との関係
+
勲章・栄典

といった要素です。

一方、ゴンサロがハバナの市政に携わり、カディス議会でフロリダ代表を務めたことは、皿の図像ではなく人物史料から分かる経歴です。

この二つを組み合わせることで、初代フェルナンディナ伯爵という人物を、より立体的に見ることができます。

彼を単に「キューバの砂糖貴族」という一つの言葉だけで説明することはできません。

現存資料から見えてくるのは、ハバナの市政、スペイン帝国の議会、王室、そして勲章制度と、複数の社会領域に関わった人物の姿です。

一枚の紋章皿は、その人物史をすべて語るものではありません。

しかし、そこに描かれた図像を博物館資料や研究論文、歴史資料と照らし合わせることで、初代伯爵とその家系を読み解くための一つの手がかりになります。

日本で確認された一枚についても、まだ分かっていないことは多く残されています。

だからこそ、現時点で確認できる事実と仮説を分けながら、調査を続けています。

関連する調査記録

初代フェルナンディナ伯爵家の紋章皿|日本所蔵個体の調査記録 →

現在所在を確認できる6枚|初代フェルナンディナ伯爵家の紋章皿の現在地 →

Who Was the First Count of Fernandina? | The Man and Lineage Encoded in an Armorial Plate

From a Single Plate to a Historical Figure

At the center of the armorial plate identified in Japan is a large composite coat of arms surmounted by a count’s coronet.

In museum records and academic research, this composite heraldic design is associated with Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, the first Count of Fernandina.

Gonzalo was not simply a wealthy man who held a noble title.

He was involved in the municipal government of Havana, served as a representative for Florida in the Cortes of Cádiz, and also held a position at the Spanish royal court. He received several honors and decorations, and his career cannot be understood through a single role alone.

The composite arms, count’s coronet, keys interpreted as symbols of his position as a royal chamberlain, and decorations represented on the plate provide clues to his lineage, his relationship with the Spanish Crown, and the honors he received.

Profile

Name

Gonzalo José Herrera y Santa Cruz

In the doctoral dissertation, the following genealogical form of his name is given in connection with the four family lines represented in the arms:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

Born / Died

Born May 14, 1761, in Havana
Died May 3, 1818, in Havana

Father

Miguel Antonio Herrera y Chacón

Mother

Luisa Santa Cruz y Santa Cruz

Title

First Count of Fernandina
Preliminary title: Viscount of Casa Herrera

Wife

María Josefa Herrera y Zayas Bazán

She is described as a daughter of the fifth Marquis of Villalta. She and Gonzalo married on August 17, 1786.

Successor to the Title

José María de Herrera y Herrera

He was Gonzalo’s son and later became the second Count of Fernandina.

Records from the Museo Nacional de Artes Decorativas in Madrid also identify Gonzalo as the son of Miguel Antonio Herrera y Chacón and Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.

Direct Family Line Confirmed in the Sources

Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   First Count of Fernandina
   1761–1818

   × María Josefa Herrera y Zayas Bazán
     Daughter of the fifth Marquis of Villalta
     Married in 1786
     │
     └─ José María de Herrera y Herrera
        Second Count of Fernandina
        1785–1864

        × Teresa de Garro y Risel
          Married in 1813
          │
          └─ José María Herrera y Garro
             Third Count of Fernandina
             1829–1916

             × María Serafina Montalvo y Cárdenas
               Married in 1857

This family tree is limited to the direct line relevant to understanding the armorial plate and the succession of the title.

After Gonzalo’s death, the title passed to his son José María de Herrera y Herrera. The second Count married Teresa de Garro y Risel, and their son José María Herrera y Garro became the third Count of Fernandina.

A Composite Coat of Arms Combining Four Family Lines

The doctoral dissertation gives the first Count’s genealogical name as:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

The dissertation interprets the shield on the plate as a combination of the arms corresponding to four family lines represented by these surnames:

  • Herrera

  • Beltrán de Santa Cruz

  • Chacón

  • Beltrán de Santa Cruz

The composite shield can therefore be read not simply as decoration, but as a visual representation of Gonzalo’s lineage.

The attribution of the individual sections of the shield given here follows the heraldic interpretation presented in the doctoral dissertation and museum sources.

From Havana’s Municipal Government to the Cortes of Cádiz

Gonzalo served as a perpetual city councilman in Havana.

He also held the office of ordinary mayor of Havana, served as head of the Santa Hermandad, and participated in the Cortes of Cádiz as a representative for Florida.

The Santa Hermandad was an institution concerned with security and judicial matters in rural areas and the territories surrounding towns.

Gonzalo also served the Spanish king as a royal chamberlain with the right of entry.

His career extended across several spheres:

Municipal government of Havana
├─ Perpetual city councilman
├─ Ordinary mayor
└─ Head of the Santa Hermandad

Politics of the Spanish Empire
└─ Representative for Florida in the Cortes of Cádiz

Spanish Royal Court
└─ Royal chamberlain with the right of entry

The surviving biographical sources show that Gonzalo was involved not only in Havana society, but also in the politics of the Spanish Empire and the royal court.

Orders, Honors, and Royal Recognition

In 1815, Gonzalo became a pensioned knight of the Royal and Distinguished Spanish Order of Charles III.

He is also recorded as having received the French Decoration of the Lily of the Vendée.

Beneath the coat of arms on the plate appears the motto of the Order of Charles III:

VIRTUTI ET MERITO

It may be translated as “To Virtue and Merit.”

The doctoral dissertation also associates another device, supported by olive and palm branches, with the Decoration of the Lily of the Vendée.

The heraldic program on the plate can therefore be understood as including not only Gonzalo’s lineage, but also elements associated with his personal honors and his relationship with the Spanish Crown.

1816: Gonzalo Becomes Count of Fernandina

On May 10, 1816, King Ferdinand VII of Spain granted Gonzalo the title Count of Fernandina, with the Viscountcy of Casa Herrera as the preliminary title.

The date and place of manufacture of the table service remain unresolved.

The 2023 doctoral dissertation classifies the service, including plates of the same type, as French, circa 1816. Because the pieces are unmarked, and in view of the influence of French culture among Havana’s upper classes at the time, the dissertation discusses the possibility that the service belonged within the broad category commonly referred to as “Paris porcelain.”

The public record for the same-type plate CE09258 at the Museo Nacional de Artes Decorativas in Madrid, however, dates it more broadly to the 19th century and lists its place of manufacture as “Germany [to be confirmed].”

At present, therefore, the precise date of manufacture, place of manufacture, and maker remain unresolved.

At the same time, the plate combines imagery consistent with Gonzalo’s status and honors after receiving the title: a count’s coronet, keys interpreted as referring to his position as a royal chamberlain, and the Order of Charles III.

For this reason, a relationship between the table service and the creation of the title in 1816 remains an important hypothesis to investigate.

However, no order records, manufacturing records, or documents identifying the person who commissioned the service have yet been confirmed.

It is therefore possible that the service was created to express the status of the newly established Count of Fernandina and his family, but it cannot currently be stated as fact that it was produced specifically to commemorate the granting of the title.

The differing descriptions of date and place of manufacture in the dissertation and the museum record also leave this question open for further research.

Timeline of the First Count of Fernandina

May 14, 1761
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Born in Havana

August 17, 1786
│
└─ Marries María Josefa Herrera y Zayas Bazán
   Daughter of the fifth Marquis of Villalta

Date uncertain
│
├─ Perpetual city councilman of Havana
├─ Ordinary mayor of Havana
├─ Head of the Santa Hermandad
├─ Representative for Florida in the Cortes of Cádiz
└─ Royal chamberlain with the right of entry

1815
│
├─ Becomes a pensioned knight of the
│  Royal and Distinguished Spanish Order of Charles III
└─ Receives the Decoration of the Lily of the Vendée

May 10, 1816
│
├─ With the Viscountcy of Casa Herrera as preliminary title
└─ Created first Count of Fernandina

Circa 1816
│
└─ The doctoral dissertation classifies the table service
   as French and dating from around this period
  Note: Exact date, place of manufacture, and maker remain unresolved.

May 3, 1818
│
└─ Gonzalo dies in Havana
   │
   └─ The title passes to his son José María

After the First Count’s Death — Succession to the Second Count

Gonzalo died on May 3, 1818, approximately two years after receiving the title of Count of Fernandina.

In 1819, his son José María de Herrera y Herrera formally succeeded to the title.

April 28, 1819

A royal letter of succession was issued to José María.

July 19, 1819

José María took the oath connected with the honor of serving as a royal chamberlain with the right of entry.

July 23, 1819

The event was reported in the Diario del Gobierno de La Habana.

The newspaper already described José María as:

  • Count of Fernandina

  • Knight of the Order of Charles III

  • Honorary colonel of cavalry

This provides documentary evidence that the title did not end with the first Count, but passed to his son.

December 10, 1819

A “Count of Fernandina” appears among those who lent 102 pesos toward the repair and improvement of a theater in Havana.

The article gives only the title and does not state a personal name.

Given the succession of the title by this date, it is plausible that the reference was to the second Count, José María, but this remains an inference.

December 15, 1819

The second Count, José María, was granted the rank of Grandee of Spain.

After the First Count’s Death — Succession of the Title and the Fate of the Table Service

The succession of the noble title from Gonzalo to his son José María can be followed through documentary sources.

The history of the table service itself is much less clear.

It is not currently known who received the service after Gonzalo’s death, where it was kept, or how it was used.

It is possible that the service remained within the Count’s family, including with his wife or son, but no household inventory, inheritance record, sale record, or other document has yet been confirmed that traces the succession of individual pieces.

It is also unknown whether such records were never created, were later lost, or remain undiscovered or unpublished.

It is therefore not possible to state that the service continued to be used within the family after the first Count’s death, or that it passed to any particular individual.

Surviving pieces are now documented in several different collections, but when and by what routes they became dispersed remains unresolved.

The succession history of the noble title and the provenance of the tableware itself need to be considered separately.

What the Armorial Plate Can Tell Us

The coat of arms painted at the center of the plate contains more than decorative information.

Comparison with the doctoral dissertation and museum records makes it possible to identify elements interpreted as a shield representing several family lines, a count’s coronet, keys associated with Gonzalo’s position as a royal chamberlain, and decorations and mottos connected with his honors.

The imagery visible on the plate itself can therefore be read in terms of:

Lineage
+
Noble title
+
Relationship with the royal court
+
Orders and honors

By contrast, Gonzalo’s involvement in Havana’s municipal government and his service as Florida’s representative in the Cortes of Cádiz come from biographical and historical sources, not from the imagery on the plate itself.

Bringing these two kinds of evidence together allows us to see the first Count of Fernandina in greater depth.

He cannot be adequately described simply as a “Cuban sugar aristocrat.”

The surviving sources reveal a man whose life intersected with Havana’s municipal government, the political institutions of the Spanish Empire, the royal court, and systems of royal honor.

A single armorial plate cannot tell the whole story of his life.

But by comparing its imagery with museum records, academic research, and historical documents, it becomes one source through which the first Count and his family can be investigated.

Many questions also remain about the example identified in Japan.

For that reason, the research continues while maintaining a clear distinction between what can currently be documented and what remains hypothesis.

Related Research Records

Armorial Plate of the Family of the First Count of Fernandina | Research Record of the Example in Japan →

Six Plates with Currently Documented Locations | The Armorial Plates of the First Count of Fernandina’s Family Today →

¿Quién fue el primer conde de la Fernandina? | El hombre y el linaje representados en un plato heráldico

De un solo plato a una figura histórica

En el centro del plato heráldico localizado en Japón aparece un gran escudo compuesto coronado por una corona condal.

En fuentes museísticas y estudios académicos, este conjunto heráldico se relaciona con Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, primer conde de la Fernandina.

Gonzalo no fue simplemente un hombre acaudalado que poseía un título nobiliario.

Participó en el gobierno municipal de La Habana, fue diputado por la Florida en las Cortes de Cádiz y también estuvo vinculado a la corte de la monarquía española. Recibió varias distinciones y condecoraciones, por lo que su trayectoria no puede explicarse desde una sola función.

El escudo compuesto, la corona condal, las llaves interpretadas como símbolos de su condición de gentilhombre de cámara y las condecoraciones representadas en el plato ofrecen pistas sobre su linaje, su relación con la Corona española y los honores que recibió.

Perfil

Nombre

Gonzalo José Herrera y Santa Cruz

En la tesis doctoral aparece también la siguiente forma genealógica de su nombre, relacionada con los cuatro linajes representados en el escudo:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

Nacimiento / fallecimiento

Nació el 14 de mayo de 1761 en La Habana
Falleció el 3 de mayo de 1818 en La Habana

Padre

Miguel Antonio Herrera y Chacón

Madre

Luisa Santa Cruz y Santa Cruz

Título

Primer conde de la Fernandina
Título previo: vizconde de Casa Herrera

Esposa

María Josefa Herrera y Zayas Bazán

Es descrita como hija del quinto marqués de Villalta. Contrajo matrimonio con Gonzalo el 17 de agosto de 1786.

Sucesor del título

José María de Herrera y Herrera

Fue hijo de Gonzalo y posteriormente se convirtió en el segundo conde de la Fernandina.

La documentación del Museo Nacional de Artes Decorativas de Madrid también identifica a Gonzalo como hijo de Miguel Antonio Herrera y Chacón y Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.

Línea familiar directa documentada en las fuentes

Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Primer conde de la Fernandina
   1761–1818

   × María Josefa Herrera y Zayas Bazán
     Hija del quinto marqués de Villalta
     Matrimonio en 1786
     │
     └─ José María de Herrera y Herrera
        Segundo conde de la Fernandina
        1785–1864

        × Teresa de Garro y Risel
          Matrimonio en 1813
          │
          └─ José María Herrera y Garro
             Tercer conde de la Fernandina
             1829–1916

             × María Serafina Montalvo y Cárdenas
               Matrimonio en 1857

Este árbol genealógico se limita a la línea directa necesaria para comprender el plato heráldico y la sucesión del título.

Tras la muerte de Gonzalo, el título pasó a su hijo José María de Herrera y Herrera. El segundo conde contrajo matrimonio con Teresa de Garro y Risel, y su hijo José María Herrera y Garro se convirtió en el tercer conde de la Fernandina.

Un escudo compuesto que reúne cuatro linajes

La tesis doctoral presenta la siguiente forma genealógica del nombre del primer conde:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

La tesis interpreta el escudo del plato como una combinación de las armas correspondientes a cuatro linajes representados por estos apellidos:

  • Herrera

  • Beltrán de Santa Cruz

  • Chacón

  • Beltrán de Santa Cruz

Por tanto, el escudo compuesto puede leerse no solo como un elemento decorativo, sino también como una representación visual del linaje de Gonzalo.

La atribución de cada una de las partes del escudo que se presenta aquí sigue la interpretación heráldica propuesta en la tesis doctoral y en las fuentes museísticas.

Del gobierno municipal de La Habana a las Cortes de Cádiz

Gonzalo ejerció como regidor perpetuo de La Habana.

También ocupó el cargo de alcalde ordinario de La Habana, estuvo al frente de la Santa Hermandad y participó en las Cortes de Cádiz como diputado por la Florida.

La Santa Hermandad fue una institución vinculada a funciones de seguridad y justicia en áreas rurales y territorios próximos a las ciudades.

Gonzalo también sirvió al rey de España como gentilhombre de cámara con entrada.

Su trayectoria abarcó varios ámbitos:

Gobierno municipal de La Habana
├─ Regidor perpetuo
├─ Alcalde ordinario
└─ Responsable de la Santa Hermandad

Política del Imperio español
└─ Diputado por la Florida en las Cortes de Cádiz

Corte española
└─ Gentilhombre de cámara con entrada

Las fuentes biográficas conservadas muestran que Gonzalo estuvo relacionado no solo con la sociedad habanera, sino también con la política del Imperio español y la corte real.

Órdenes, distinciones y reconocimiento real

En 1815, Gonzalo fue nombrado caballero pensionado de la Real y Distinguida Orden Española de Carlos III.

También consta que recibió la condecoración francesa de la Flor de Lis de la Vendée.

Bajo el escudo del plato aparece el lema de la Orden de Carlos III:

VIRTUTI ET MERITO

Puede traducirse como «A la virtud y al mérito».

La tesis doctoral también relaciona otro emblema, sostenido por ramas de olivo y palma, con la condecoración de la Flor de Lis de la Vendée.

Por ello, el programa heráldico del plato puede interpretarse como una combinación de elementos vinculados no solo al linaje de Gonzalo, sino también a sus distinciones personales y a su relación con la Corona española.

1816: Gonzalo se convierte en conde de la Fernandina

El 10 de mayo de 1816, el rey Fernando VII de España concedió a Gonzalo el título de conde de la Fernandina, con el vizcondado de Casa Herrera como título previo.

La fecha y el lugar de fabricación del servicio de mesa siguen sin estar resueltos.

La tesis doctoral de 2023 clasifica el servicio, incluidos los platos del mismo tipo, como francés, hacia 1816. Debido a la ausencia de marcas y teniendo en cuenta la influencia de la cultura francesa entre las clases altas de La Habana en aquella época, la tesis plantea la posibilidad de incluirlo dentro de la amplia categoría conocida habitualmente como «porcelana de París».

Sin embargo, la ficha pública del plato del mismo tipo CE09258 conservado en el Museo Nacional de Artes Decorativas de Madrid lo fecha de manera más amplia en el siglo XIX y señala como lugar de fabricación «Alemania [por confirmar]».

Por tanto, en el estado actual de la investigación, la fecha exacta de fabricación, el lugar de producción y el fabricante siguen sin estar determinados.

Al mismo tiempo, el plato reúne elementos iconográficos compatibles con la posición y los honores de Gonzalo después de recibir el título: una corona condal, unas llaves interpretadas como referencia a su condición de gentilhombre de cámara y la Orden de Carlos III.

Por este motivo, la relación entre el servicio de mesa y la creación del título en 1816 constituye una hipótesis importante que merece seguir siendo investigada.

No obstante, hasta el momento no se han localizado documentos de encargo, registros de fabricación ni fuentes que identifiquen a la persona que encargó el servicio.

Por ello, puede plantearse la posibilidad de que el servicio fuera realizado para expresar la posición del recién creado conde de la Fernandina y de su familia, pero no puede afirmarse actualmente como un hecho que se produjera específicamente para conmemorar la concesión del título.

Las diferencias entre la tesis doctoral y la ficha del museo respecto a la fecha y al lugar de fabricación mantienen también esta cuestión abierta a futuras investigaciones.

Cronología del primer conde de la Fernandina

14 de mayo de 1761
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Nace en La Habana

17 de agosto de 1786
│
└─ Contrae matrimonio con María Josefa Herrera y Zayas Bazán
   Hija del quinto marqués de Villalta

Fecha no determinada
│
├─ Regidor perpetuo de La Habana
├─ Alcalde ordinario de La Habana
├─ Responsable de la Santa Hermandad
├─ Diputado por la Florida en las Cortes de Cádiz
└─ Gentilhombre de cámara con entrada

1815
│
├─ Nombrado caballero pensionado de la
│  Real y Distinguida Orden Española de Carlos III
└─ Recibe la condecoración de la Flor de Lis de la Vendée

10 de mayo de 1816
│
├─ Con el vizcondado de Casa Herrera como título previo
└─ Es creado primer conde de la Fernandina

Hacia 1816
│
└─ La tesis doctoral clasifica el servicio de mesa
   como francés y fechado aproximadamente en este periodo

Nota: La fecha exacta, el lugar de fabricación y el fabricante siguen sin estar determinados.

3 de mayo de 1818
│
└─ Gonzalo fallece en La Habana
   │
   └─ El título pasa a su hijo José María

Tras la muerte del primer conde — Sucesión al segundo conde

Gonzalo falleció el 3 de mayo de 1818, aproximadamente dos años después de recibir el título de conde de la Fernandina.

En 1819, su hijo José María de Herrera y Herrera sucedió formalmente en el título.

28 de abril de 1819

Se expidió a favor de José María la correspondiente carta real de sucesión.

19 de julio de 1819

José María prestó juramento en relación con el honor de gentilhombre de cámara con entrada.

23 de julio de 1819

El acontecimiento fue publicado en el Diario del Gobierno de La Habana.

El periódico ya describía a José María como:

  • conde de la Fernandina

  • caballero de la Orden de Carlos III

  • coronel honorario de caballería

Este documento confirma que el título no se extinguió con el primer conde, sino que pasó a su hijo.

10 de diciembre de 1819

Un «conde de la Fernandina» aparece entre las personas que prestaron 102 pesos para la reparación y mejora de un teatro de La Habana.

El artículo menciona únicamente el título y no proporciona un nombre personal.

Dado que la sucesión ya se había producido para entonces, es plausible que la referencia corresponda al segundo conde, José María, aunque esta identificación sigue siendo una inferencia.

15 de diciembre de 1819

Al segundo conde, José María, le fue concedida la Grandeza de España.

Tras la muerte del primer conde — La sucesión del título y el destino del servicio de mesa

La sucesión del título nobiliario de Gonzalo a su hijo José María puede seguirse mediante fuentes documentales.

La historia del servicio de mesa es mucho menos clara.

Actualmente se desconoce quién recibió el servicio después de la muerte de Gonzalo, dónde se conservó o de qué manera fue utilizado.

Es posible que permaneciera dentro de la familia del conde, incluso en manos de su esposa o de su hijo, pero hasta ahora no se ha localizado ningún inventario doméstico, documento sucesorio, registro de venta u otra fuente que permita seguir la transmisión de las piezas individuales.

Tampoco se sabe si tales documentos nunca llegaron a elaborarse, si se perdieron posteriormente o si permanecen todavía sin localizar o sin publicar.

Por tanto, no puede afirmarse que el servicio continuara utilizándose dentro de la familia después de la muerte del primer conde ni que pasara a una persona determinada.

Actualmente se documentan piezas conservadas en varias colecciones diferentes, pero cuándo y por qué vías se produjo su dispersión sigue sin estar resuelto.

La historia de la sucesión del título y la procedencia de las piezas del servicio deben considerarse por separado.

Lo que puede contarnos el plato heráldico

El escudo pintado en el centro del plato contiene información que va más allá de lo puramente decorativo.

La comparación con la tesis doctoral y las fuentes museísticas permite reconocer elementos interpretados como un escudo que representa varios linajes, una corona condal, unas llaves asociadas a la condición de gentilhombre de cámara de Gonzalo y condecoraciones y lemas relacionados con sus honores.

Por tanto, los elementos visibles en el propio plato pueden leerse en relación con:

Linaje
+
Título nobiliario
+
Relación con la corte real
+
Órdenes y distinciones

En cambio, la participación de Gonzalo en el gobierno municipal de La Habana y su actividad como diputado por la Florida en las Cortes de Cádiz se conocen a través de fuentes biográficas e históricas, no mediante la iconografía del plato.

La combinación de ambos tipos de evidencia permite observar al primer conde de la Fernandina desde una perspectiva más amplia.

No resulta suficiente describirlo únicamente como un «aristócrata azucarero cubano».

Las fuentes conservadas muestran a un hombre cuya vida estuvo relacionada con el gobierno municipal de La Habana, las instituciones políticas del Imperio español, la corte real y los sistemas de honores de la monarquía.

Un solo plato heráldico no puede contar toda la historia de su vida.

Sin embargo, al comparar su iconografía con documentación museística, estudios académicos y fuentes históricas, el plato se convierte en una de las vías desde las que investigar al primer conde y a su familia.

También siguen abiertas muchas preguntas sobre el ejemplar localizado en Japón.

Por ello, la investigación continúa, manteniendo una distinción clara entre aquello que puede documentarse actualmente y aquello que sigue siendo una hipótesis.

Registros de investigación relacionados

Plato heráldico de la familia del primer conde de la Fernandina | Registro de investigación del ejemplar conservado en Japón →

Seis platos cuya ubicación actual está documentada | Los platos heráldicos de la familia del primer conde de la Fernandina en la actualidad →

Qui était le premier comte de Fernandina ? | L’homme et le lignage représentés sur une assiette armoriée

D’une seule assiette à un personnage historique

Au centre de l’assiette armoriée repérée au Japon figure un grand blason composite surmonté d’une couronne comtale.

Dans les sources muséales et les travaux universitaires, cet ensemble héraldique est associé à Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, premier comte de Fernandina.

Gonzalo n’était pas simplement un homme fortuné détenteur d’un titre de noblesse.

Il participa au gouvernement municipal de La Havane, siégea aux Cortes de Cadix comme représentant de la Floride et fut également lié à la cour de la monarchie espagnole. Il reçut plusieurs distinctions et décorations, et son parcours ne peut être résumé à une seule fonction.

Le blason composite, la couronne comtale, les clés interprétées comme des symboles de sa fonction de gentilhomme de la Chambre et les décorations représentées sur l’assiette fournissent des indices sur son lignage, ses relations avec la Couronne espagnole et les honneurs qu’il reçut.

Profil

Nom

Gonzalo José Herrera y Santa Cruz

Dans la thèse de doctorat apparaît également la forme généalogique suivante de son nom, en relation avec les quatre lignages représentés dans les armoiries :

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

Naissance / décès

Né le 14 mai 1761 à La Havane
Décédé le 3 mai 1818 à La Havane

Père

Miguel Antonio Herrera y Chacón

Mère

Luisa Santa Cruz y Santa Cruz

Titre

Premier comte de Fernandina
Titre préalable : vicomte de Casa Herrera

Épouse

María Josefa Herrera y Zayas Bazán

Elle est décrite comme la fille du cinquième marquis de Villalta. Elle épousa Gonzalo le 17 août 1786.

Successeur au titre

José María de Herrera y Herrera

Fils de Gonzalo, il devint par la suite le deuxième comte de Fernandina.

La documentation du Museo Nacional de Artes Decorativas de Madrid identifie également Gonzalo comme le fils de Miguel Antonio Herrera y Chacón et de Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.

Ligne familiale directe documentée dans les sources

Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Premier comte de Fernandina
   1761–1818

   × María Josefa Herrera y Zayas Bazán
     Fille du cinquième marquis de Villalta
     Mariage en 1786
     │
     └─ José María de Herrera y Herrera
        Deuxième comte de Fernandina
        1785–1864

        × Teresa de Garro y Risel
          Mariage en 1813
          │
          └─ José María Herrera y Garro
             Troisième comte de Fernandina
             1829–1916

             × María Serafina Montalvo y Cárdenas
               Mariage en 1857

Cet arbre généalogique se limite à la lignée directe nécessaire pour comprendre l’assiette armoriée et la succession du titre.

Après la mort de Gonzalo, le titre passa à son fils José María de Herrera y Herrera. Le deuxième comte épousa Teresa de Garro y Risel, et leur fils José María Herrera y Garro devint le troisième comte de Fernandina.

Un blason composite réunissant quatre lignages

La thèse de doctorat donne la forme généalogique suivante du nom du premier comte :

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

La thèse interprète l’écu représenté sur l’assiette comme une combinaison des armes correspondant à quatre lignages représentés par ces noms :

  • Herrera

  • Beltrán de Santa Cruz

  • Chacón

  • Beltrán de Santa Cruz

Le blason composite peut donc être lu non seulement comme un élément décoratif, mais aussi comme une représentation visuelle du lignage de Gonzalo.

L’attribution des différentes parties de l’écu présentée ici suit l’interprétation héraldique proposée dans la thèse de doctorat et les sources muséales.

Du gouvernement municipal de La Havane aux Cortes de Cadix

Gonzalo exerça la fonction de conseiller municipal perpétuel à La Havane.

Il occupa également la charge d’alcalde ordinaire de La Havane, dirigea la Santa Hermandad et participa aux Cortes de Cadix en tant que représentant de la Floride.

La Santa Hermandad était une institution chargée de fonctions liées à la sécurité et à la justice dans les zones rurales et les territoires entourant les villes.

Gonzalo servit également le roi d’Espagne comme gentilhomme de la Chambre avec droit d’entrée.

Son parcours s’étendait ainsi sur plusieurs domaines :

Gouvernement municipal de La Havane
├─ Conseiller municipal perpétuel
├─ Alcalde ordinaire
└─ Responsable de la Santa Hermandad

Politique de l’Empire espagnol
└─ Représentant de la Floride aux Cortes de Cadix

Cour d’Espagne
└─ Gentilhomme de la Chambre avec droit d’entrée

Les sources biographiques conservées montrent que Gonzalo fut lié non seulement à la société havanaise, mais également à la politique de l’Empire espagnol et à la cour royale.

Ordres, distinctions et reconnaissance royale

En 1815, Gonzalo devint chevalier pensionné de l’Ordre royal et distingué espagnol de Charles III.

Il est également mentionné comme ayant reçu la décoration française de la Fleur de Lys de la Vendée.

Sous le blason de l’assiette apparaît la devise de l’Ordre de Charles III :

VIRTUTI ET MERITO

Elle peut être traduite par « À la vertu et au mérite ».

La thèse de doctorat associe également un autre emblème, soutenu par des branches d’olivier et de palmier, à la décoration de la Fleur de Lys de la Vendée.

Le programme héraldique de l’assiette peut donc être interprété comme réunissant non seulement des éléments liés au lignage de Gonzalo, mais aussi à ses distinctions personnelles et à ses relations avec la Couronne espagnole.

1816 : Gonzalo devient comte de Fernandina

Le 10 mai 1816, le roi Ferdinand VII d’Espagne accorda à Gonzalo le titre de comte de Fernandina, avec le vicomté de Casa Herrera comme titre préalable.

La date et le lieu de fabrication du service de table restent indéterminés.

La thèse de doctorat de 2023 classe le service, y compris les assiettes du même type, comme français, vers 1816. En raison de l’absence de marques et compte tenu de l’influence de la culture française parmi les classes supérieures de La Havane à cette époque, la thèse envisage la possibilité de le rattacher à la vaste catégorie généralement désignée sous le nom de « porcelaine de Paris ».

Cependant, la fiche publique de l’assiette du même type CE09258, conservée au Museo Nacional de Artes Decorativas de Madrid, la date plus largement du XIXe siècle et indique comme lieu de fabrication « Allemagne [à confirmer] ».

Ainsi, dans l’état actuel de la recherche, la date exacte de fabrication, le lieu de production et le fabricant restent indéterminés.

Dans le même temps, l’assiette réunit des éléments iconographiques compatibles avec le rang et les honneurs de Gonzalo après l’obtention de son titre : une couronne comtale, des clés interprétées comme une référence à sa fonction de gentilhomme de la Chambre et l’Ordre de Charles III.

Pour cette raison, un lien entre le service de table et la création du titre en 1816 constitue une hypothèse importante qui mérite de continuer à être étudiée.

Toutefois, aucun document de commande, registre de fabrication ni source identifiant la personne ayant commandé le service n’a été retrouvé à ce jour.

Il est donc possible d’envisager que ce service ait été réalisé afin d’exprimer le statut du nouveau comte de Fernandina et de sa famille, mais il n’est actuellement pas possible d’affirmer comme un fait qu’il fut produit spécifiquement pour commémorer l’octroi du titre.

Les différences entre la thèse de doctorat et la fiche du musée concernant la date et le lieu de fabrication laissent également cette question ouverte à de futures recherches.

Chronologie du premier comte de Fernandina

14 mai 1761
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Naît à La Havane

17 août 1786
│
└─ Épouse María Josefa Herrera y Zayas Bazán
   Fille du cinquième marquis de Villalta

Date indéterminée
│
├─ Conseiller municipal perpétuel de La Havane
├─ Alcalde ordinaire de La Havane
├─ Responsable de la Santa Hermandad
├─ Représentant de la Floride aux Cortes de Cadix
└─ Gentilhomme de la Chambre avec droit d’entrée

1815
│
├─ Devient chevalier pensionné de
│  l’Ordre royal et distingué espagnol de Charles III
└─ Reçoit la décoration de la Fleur de Lys de la Vendée

10 mai 1816
│
├─ Avec le vicomté de Casa Herrera comme titre préalable
└─ Devient le premier comte de Fernandina

Vers 1816
│
└─ La thèse de doctorat classe le service de table
   comme français et le date approximativement de cette période

Note : La date exacte, le lieu de fabrication et le fabricant restent indéterminés.

3 mai 1818
│
└─ Gonzalo meurt à La Havane
   │
   └─ Le titre passe à son fils José María

Après la mort du premier comte — Succession au deuxième comte

Gonzalo mourut le 3 mai 1818, environ deux ans après avoir reçu le titre de comte de Fernandina.

En 1819, son fils José María de Herrera y Herrera lui succéda officiellement dans le titre.

28 avril 1819

Une lettre royale de succession fut délivrée en faveur de José María.

19 juillet 1819

José María prêta serment en relation avec l’honneur de gentilhomme de la Chambre avec droit d’entrée.

23 juillet 1819

L’événement fut rapporté dans le Diario del Gobierno de La Habana.

Le journal présentait déjà José María comme :

  • comte de Fernandina

  • chevalier de l’Ordre de Charles III

  • colonel honoraire de cavalerie

Ce document montre que le titre ne s’éteignit pas avec le premier comte, mais passa à son fils.

10 décembre 1819

Un « comte de Fernandina » figure parmi les personnes ayant prêté 102 pesos pour la réparation et l’amélioration d’un théâtre de La Havane.

L’article ne donne que le titre et ne mentionne aucun nom personnel.

Compte tenu de la succession du titre déjà intervenue à cette date, il est plausible que cette mention désigne le deuxième comte, José María, mais cette identification reste une déduction.

15 décembre 1819

Le deuxième comte, José María, reçut la dignité de Grand d’Espagne.

Après la mort du premier comte — Succession du titre et devenir du service de table

La succession du titre de noblesse de Gonzalo à son fils José María peut être suivie grâce aux sources documentaires.

L’histoire du service de table lui-même est beaucoup moins claire.

On ignore actuellement qui reçut le service après la mort de Gonzalo, où il fut conservé et de quelle manière il fut utilisé.

Il est possible que le service soit resté au sein de la famille du comte, notamment auprès de son épouse ou de son fils, mais aucun inventaire domestique, document de succession, registre de vente ou autre source permettant de suivre la transmission des pièces individuelles n’a été retrouvé à ce jour.

On ignore également si de tels documents n’ont jamais été établis, s’ils ont ensuite été perdus ou s’ils demeurent encore inconnus ou non publiés.

Il n’est donc pas possible d’affirmer que le service continua à être utilisé au sein de la famille après la mort du premier comte, ni qu’il passa à une personne déterminée.

Des pièces aujourd’hui conservées sont documentées dans plusieurs collections différentes, mais la date et les voies par lesquelles elles ont été dispersées restent inconnues.

L’histoire de la succession du titre et la provenance des pièces du service doivent être examinées séparément.

Ce que l’assiette armoriée peut nous apprendre

Les armoiries peintes au centre de l’assiette contiennent des informations qui dépassent leur seule fonction décorative.

La comparaison avec la thèse de doctorat et les sources muséales permet de reconnaître des éléments interprétés comme un écu représentant plusieurs lignages, une couronne comtale, des clés associées à la fonction de gentilhomme de la Chambre de Gonzalo, ainsi que des décorations et des devises liées à ses distinctions.

Les éléments visibles sur l’assiette elle-même peuvent donc être lus en relation avec :

Lignage
+
Titre de noblesse
+
Relations avec la cour royale
+
Ordres et distinctions

En revanche, la participation de Gonzalo au gouvernement municipal de La Havane et son activité comme représentant de la Floride aux Cortes de Cadix sont connues grâce aux sources biographiques et historiques, et non par l’iconographie de l’assiette.

La mise en relation de ces deux types de sources permet d’observer le premier comte de Fernandina sous un angle plus large.

Il ne suffit pas de le décrire uniquement comme un « aristocrate du sucre cubain ».

Les sources conservées révèlent un homme dont la vie fut liée au gouvernement municipal de La Havane, aux institutions politiques de l’Empire espagnol, à la cour royale et aux systèmes d’honneurs de la monarchie.

Une seule assiette armoriée ne peut raconter toute l’histoire de sa vie.

Cependant, en comparant son iconographie avec des sources muséales, des travaux universitaires et des documents historiques, cette assiette constitue l’une des voies permettant d’étudier le premier comte et sa famille.

De nombreuses questions restent également ouvertes concernant l’exemplaire repéré au Japon.

C’est pourquoi la recherche se poursuit, en maintenant une distinction claire entre ce qui peut actuellement être documenté et ce qui demeure une hypothèse.

Dossiers de recherche associés

Assiette armoriée de la famille du premier comte de Fernandina | Dossier de recherche de l’exemplaire conservé au Japon →

Six assiettes dont la localisation actuelle est documentée | Les assiettes armoriées de la famille du premier comte de Fernandina aujourd’hui →

Chi fu il primo conte de la Fernandina? | L’uomo e il lignaggio rappresentati su un piatto araldico

Da un singolo piatto a una figura storica

Al centro del piatto araldico individuato in Giappone compare un grande stemma composito sormontato da una corona comitale.

Nelle fonti museali e negli studi accademici, questo insieme araldico è associato a Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, primo conte de la Fernandina.

Gonzalo non fu semplicemente un uomo facoltoso titolare di un titolo nobiliare.

Partecipò al governo municipale dell’Avana, fu rappresentante della Florida alle Cortes di Cadice e fu inoltre legato alla corte della monarchia spagnola. Ricevette diverse onorificenze e decorazioni, e la sua carriera non può essere ricondotta a un solo ruolo.

Lo stemma composito, la corona comitale, le chiavi interpretate come simboli della sua posizione di gentiluomo di camera e le decorazioni raffigurate sul piatto offrono indizi sul suo lignaggio, sui suoi rapporti con la Corona spagnola e sugli onori ricevuti.

Profilo

Nome

Gonzalo José Herrera y Santa Cruz

Nella tesi di dottorato compare inoltre la seguente forma genealogica del suo nome, in relazione ai quattro lignaggi rappresentati nello stemma:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

Nascita / morte

Nato il 14 maggio 1761 all’Avana
Morto il 3 maggio 1818 all’Avana

Padre

Miguel Antonio Herrera y Chacón

Madre

Luisa Santa Cruz y Santa Cruz

Titolo

Primo conte de la Fernandina
Titolo preliminare: visconte di Casa Herrera

Moglie

María Josefa Herrera y Zayas Bazán

È descritta come figlia del quinto marchese di Villalta. Sposò Gonzalo il 17 agosto 1786.

Successore al titolo

José María de Herrera y Herrera

Figlio di Gonzalo, divenne in seguito il secondo conte de la Fernandina.

La documentazione del Museo Nacional de Artes Decorativas di Madrid identifica inoltre Gonzalo come figlio di Miguel Antonio Herrera y Chacón e Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.

Linea familiare diretta documentata nelle fonti

Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Primo conte de la Fernandina
   1761–1818

   × María Josefa Herrera y Zayas Bazán
     Figlia del quinto marchese di Villalta
     Matrimonio nel 1786
     │
     └─ José María de Herrera y Herrera
        Secondo conte de la Fernandina
        1785–1864

        × Teresa de Garro y Risel
          Matrimonio nel 1813
          │
          └─ José María Herrera y Garro
             Terzo conte de la Fernandina
             1829–1916

             × María Serafina Montalvo y Cárdenas
               Matrimonio nel 1857

Questo albero genealogico è limitato alla linea diretta necessaria per comprendere il piatto araldico e la successione del titolo.

Dopo la morte di Gonzalo, il titolo passò al figlio José María de Herrera y Herrera. Il secondo conte sposò Teresa de Garro y Risel, e il loro figlio José María Herrera y Garro divenne il terzo conte de la Fernandina.

Uno stemma composito che riunisce quattro lignaggi

La tesi di dottorato riporta la seguente forma genealogica del nome del primo conte:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

La tesi interpreta lo scudo raffigurato sul piatto come una combinazione delle armi corrispondenti a quattro lignaggi rappresentati da questi cognomi:

  • Herrera

  • Beltrán de Santa Cruz

  • Chacón

  • Beltrán de Santa Cruz

Lo stemma composito può quindi essere letto non soltanto come elemento decorativo, ma anche come rappresentazione visiva del lignaggio di Gonzalo.

L’attribuzione delle singole parti dello scudo qui presentata segue l’interpretazione araldica proposta nella tesi di dottorato e nelle fonti museali.

Dal governo municipale dell’Avana alle Cortes di Cadice

Gonzalo ricoprì la carica di consigliere municipale perpetuo dell’Avana.

Fu inoltre alcalde ordinario dell’Avana, ricoprì un incarico nella Santa Hermandad e partecipò alle Cortes di Cadice come rappresentante della Florida.

La Santa Hermandad era un’istituzione con funzioni legate alla sicurezza e alla giustizia nelle aree rurali e nei territori circostanti le città.

Gonzalo servì inoltre il re di Spagna come gentiluomo di camera con diritto d’ingresso.

La sua carriera si estese quindi a diversi ambiti:

Governo municipale dell’Avana
├─ Consigliere municipale perpetuo
├─ Alcalde ordinario
└─ Incarico nella Santa Hermandad

Politica dell’Impero spagnolo
└─ Rappresentante della Florida alle Cortes di Cadice

Corte spagnola
└─ Gentiluomo di camera con diritto d’ingresso

Le fonti biografiche conservate mostrano che Gonzalo fu legato non soltanto alla società dell’Avana, ma anche alla politica dell’Impero spagnolo e alla corte reale.

Ordini, onorificenze e riconoscimento reale

Nel 1815 Gonzalo divenne cavaliere pensionato del Reale e Distinto Ordine Spagnolo di Carlo III.

È inoltre indicato come destinatario della decorazione francese del Giglio della Vandea.

Sotto lo stemma raffigurato sul piatto compare il motto dell’Ordine di Carlo III:

VIRTUTI ET MERITO

Può essere tradotto come «Alla virtù e al merito».

La tesi di dottorato associa inoltre un altro emblema, sostenuto da rami d’ulivo e di palma, alla decorazione del Giglio della Vandea.

Il programma araldico del piatto può quindi essere interpretato come comprendente non soltanto elementi legati al lignaggio di Gonzalo, ma anche alle sue onorificenze personali e ai suoi rapporti con la Corona spagnola.

1816: Gonzalo diventa conte de la Fernandina

Il 10 maggio 1816 il re Ferdinando VII di Spagna concesse a Gonzalo il titolo di conte de la Fernandina, con il viscontado di Casa Herrera come titolo preliminare.

La data e il luogo di fabbricazione del servizio da tavola rimangono irrisolti.

La tesi di dottorato del 2023 classifica il servizio, compresi i piatti dello stesso tipo, come francese, circa 1816. In ragione dell’assenza di marchi e considerando l’influenza della cultura francese tra le classi elevate dell’Avana dell’epoca, la tesi prende in considerazione la possibilità di ricondurlo all’ampia categoria generalmente definita «porcellana di Parigi».

Tuttavia, la scheda pubblica del piatto dello stesso tipo CE09258, conservato presso il Museo Nacional de Artes Decorativas di Madrid, lo data più genericamente al XIX secolo e indica come luogo di fabbricazione «Germania [da confermare]».

Nello stato attuale della ricerca, quindi, la data esatta di fabbricazione, il luogo di produzione e il produttore rimangono indeterminati.

Allo stesso tempo, il piatto riunisce elementi iconografici compatibili con il rango e le onorificenze di Gonzalo dopo l’ottenimento del titolo: una corona comitale, chiavi interpretate come riferimento alla sua posizione di gentiluomo di camera e l’Ordine di Carlo III.

Per questo motivo, un rapporto tra il servizio da tavola e la creazione del titolo nel 1816 costituisce un’importante ipotesi da continuare a esaminare.

Tuttavia, fino a oggi non sono stati individuati documenti di commissione, registri di produzione o fonti che identifichino la persona che ordinò il servizio.

È quindi possibile ipotizzare che il servizio sia stato realizzato per esprimere lo status del nuovo conte de la Fernandina e della sua famiglia, ma attualmente non è possibile affermare come fatto che sia stato prodotto specificamente per commemorare la concessione del titolo.

Le differenze tra la tesi di dottorato e la scheda del museo riguardo alla data e al luogo di fabbricazione lasciano inoltre aperta la questione a ulteriori ricerche.

Cronologia del primo conte de la Fernandina

14 maggio 1761
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Nasce all’Avana

17 agosto 1786
│
└─ Sposa María Josefa Herrera y Zayas Bazán
   Figlia del quinto marchese di Villalta

Data non determinata
│
├─ Consigliere municipale perpetuo dell’Avana
├─ Alcalde ordinario dell’Avana
├─ Incarico nella Santa Hermandad
├─ Rappresentante della Florida alle Cortes di Cadice
└─ Gentiluomo di camera con diritto d’ingresso

1815
│
├─ Diventa cavaliere pensionato del
│  Reale e Distinto Ordine Spagnolo di Carlo III
└─ Riceve la decorazione del Giglio della Vandea

10 maggio 1816
│
├─ Con il viscontado di Casa Herrera come titolo preliminare
└─ Diventa il primo conte de la Fernandina

Circa 1816
│
└─ La tesi di dottorato classifica il servizio da tavola
   come francese e lo data approssimativamente a questo periodo

Nota: La data esatta, il luogo di fabbricazione e il produttore rimangono indeterminati.

3 maggio 1818
│
└─ Gonzalo muore all’Avana
   │
   └─ Il titolo passa al figlio José María

Dopo la morte del primo conte — Successione al secondo conte

Gonzalo morì il 3 maggio 1818, circa due anni dopo aver ricevuto il titolo di conte de la Fernandina.

Nel 1819 il figlio José María de Herrera y Herrera gli succedette formalmente nel titolo.

28 aprile 1819

Fu emessa a favore di José María la relativa lettera reale di successione.

19 luglio 1819

José María prestò giuramento in relazione all’onore di gentiluomo di camera con diritto d’ingresso.

23 luglio 1819

L’avvenimento fu riportato nel Diario del Gobierno de La Habana.

Il giornale descriveva già José María come:

  • conte de la Fernandina

  • cavaliere dell’Ordine di Carlo III

  • colonnello onorario di cavalleria

Questo documento mostra che il titolo non si estinse con il primo conte, ma passò al figlio.

10 dicembre 1819

Un «conte de la Fernandina» compare tra le persone che prestarono 102 pesos per la riparazione e il miglioramento di un teatro dell’Avana.

L’articolo indica soltanto il titolo e non riporta alcun nome personale.

Poiché a quella data la successione del titolo era già avvenuta, è plausibile che il riferimento riguardasse il secondo conte, José María, ma questa identificazione rimane un’ipotesi.

15 dicembre 1819

Al secondo conte, José María, fu concessa la dignità di Grande di Spagna.

Dopo la morte del primo conte — Successione del titolo e destino del servizio da tavola

La successione del titolo nobiliare da Gonzalo al figlio José María può essere ricostruita attraverso le fonti documentarie.

La storia del servizio da tavola è invece molto meno chiara.

Attualmente non sappiamo chi ricevette il servizio dopo la morte di Gonzalo, dove fu conservato o in che modo venne utilizzato.

È possibile che il servizio sia rimasto all’interno della famiglia del conte, anche presso la moglie o il figlio, ma fino a oggi non è stato individuato alcun inventario domestico, documento successorio, registro di vendita o altra fonte che permetta di seguire la trasmissione dei singoli pezzi.

Non sappiamo inoltre se tali documenti non siano mai stati redatti, se siano andati successivamente perduti o se rimangano ancora da individuare o da pubblicare.

Non è quindi possibile affermare che il servizio abbia continuato a essere utilizzato all’interno della famiglia dopo la morte del primo conte, né che sia passato a una persona specifica.

Oggi sono documentati esemplari conservati in diverse collezioni, ma quando e attraverso quali percorsi si siano dispersi rimane irrisolto.

La storia della successione del titolo e la provenienza dei pezzi del servizio devono essere considerate separatamente.

Che cosa può raccontarci il piatto araldico

Lo stemma dipinto al centro del piatto contiene informazioni che vanno oltre la semplice funzione decorativa.

Il confronto con la tesi di dottorato e con le fonti museali permette di riconoscere elementi interpretati come uno scudo che rappresenta più lignaggi, una corona comitale, chiavi associate alla posizione di gentiluomo di camera di Gonzalo, nonché decorazioni e motti collegati alle sue onorificenze.

Gli elementi visibili sul piatto stesso possono quindi essere letti in relazione a:

Lignaggio
+
Titolo nobiliare
+
Rapporti con la corte reale
+
Ordini e onorificenze

Al contrario, la partecipazione di Gonzalo al governo municipale dell’Avana e la sua attività come rappresentante della Florida alle Cortes di Cadice sono note attraverso fonti biografiche e storiche, non attraverso l’iconografia del piatto.

Mettere in relazione questi due tipi di fonti permette di osservare il primo conte de la Fernandina da una prospettiva più ampia.

Non è sufficiente descriverlo semplicemente come un «aristocratico dello zucchero cubano».

Le fonti conservate mostrano un uomo la cui vita fu legata al governo municipale dell’Avana, alle istituzioni politiche dell’Impero spagnolo, alla corte reale e ai sistemi di onorificenze della monarchia.

Un singolo piatto araldico non può raccontare tutta la storia della sua vita.

Tuttavia, confrontandone l’iconografia con fonti museali, studi accademici e documenti storici, il piatto diventa una delle possibili vie attraverso cui indagare il primo conte e la sua famiglia.

Rimangono inoltre aperte molte domande riguardo all’esemplare individuato in Giappone.

Per questo motivo la ricerca continua, mantenendo una distinzione chiara tra ciò che può essere documentato allo stato attuale e ciò che rimane un’ipotesi.

Documentazione di ricerca correlata

Piatto araldico della famiglia del primo conte de la Fernandina | Documentazione di ricerca dell’esemplare conservato in Giappone →

Sei piatti la cui ubicazione attuale è documentata | I piatti araldici della famiglia del primo conte de la Fernandina oggi →

Wer war der erste Graf von Fernandina? | Der Mann und seine Abstammung auf einem Wappenteller

Von einem einzelnen Teller zu einer historischen Persönlichkeit

Im Zentrum des in Japan identifizierten Wappentellers befindet sich ein großes zusammengesetztes Wappen, das von einer Grafenkrone bekrönt wird.

In Museumsquellen und wissenschaftlichen Arbeiten wird diese heraldische Darstellung mit Gonzalo José Herrera y Santa Cruz, dem ersten Grafen von Fernandina, in Verbindung gebracht.

Gonzalo war nicht einfach nur ein wohlhabender Mann mit einem Adelstitel.

Er war an der Stadtverwaltung von Havanna beteiligt, vertrat Florida in den Cortes von Cádiz und stand zugleich in Verbindung mit dem spanischen Königshof. Er erhielt mehrere Orden und Auszeichnungen, sodass sich sein Lebensweg nicht auf eine einzige Funktion reduzieren lässt.

Das zusammengesetzte Wappen, die Grafenkrone, die als Zeichen seiner Stellung als königlicher Kammerherr interpretierten Schlüssel sowie die auf dem Teller dargestellten Auszeichnungen geben Hinweise auf seine Abstammung, seine Beziehung zur spanischen Krone und die ihm verliehenen Ehrungen.

Profil

Name

Gonzalo José Herrera y Santa Cruz

In der Dissertation erscheint außerdem folgende genealogische Namensform im Zusammenhang mit den vier im Wappen vertretenen Familienlinien:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

Geburt / Tod

Geboren am 14. Mai 1761 in Havanna
Gestorben am 3. Mai 1818 in Havanna

Vater

Miguel Antonio Herrera y Chacón

Mutter

Luisa Santa Cruz y Santa Cruz

Titel

Erster Graf von Fernandina
Vorausgehender Titel: Vizegraf von Casa Herrera

Ehefrau

María Josefa Herrera y Zayas Bazán

Sie wird als Tochter des fünften Marquis von Villalta beschrieben. Sie heiratete Gonzalo am 17. August 1786.

Nachfolger im Titel

José María de Herrera y Herrera

Er war Gonzalos Sohn und wurde später der zweite Graf von Fernandina.

Auch die Unterlagen des Museo Nacional de Artes Decorativas in Madrid nennen Gonzalo als Sohn von Miguel Antonio Herrera y Chacón und Luisa Santa Cruz y Santa Cruz.

In den Quellen dokumentierte direkte Familienlinie

Miguel Antonio Herrera y Chacón
× Luisa Santa Cruz y Santa Cruz
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Erster Graf von Fernandina
   1761–1818

   × María Josefa Herrera y Zayas Bazán
     Tochter des fünften Marquis von Villalta
     Heirat 1786
     │
     └─ José María de Herrera y Herrera
        Zweiter Graf von Fernandina
        1785–1864

        × Teresa de Garro y Risel
          Heirat 1813
          │
          └─ José María Herrera y Garro
             Dritter Graf von Fernandina
             1829–1916

             × María Serafina Montalvo y Cárdenas
               Heirat 1857

Dieser Stammbaum beschränkt sich auf die direkte Linie, die für das Verständnis des Wappentellers und der Titelnachfolge relevant ist.

Nach Gonzalos Tod ging der Titel auf seinen Sohn José María de Herrera y Herrera über. Der zweite Graf heiratete Teresa de Garro y Risel, und ihr Sohn José María Herrera y Garro wurde der dritte Graf von Fernandina.

Ein zusammengesetztes Wappen aus vier Familienlinien

Die Dissertation nennt für den ersten Grafen folgende genealogische Namensform:

Gonzalo Herrera y Beltrán de Santa Cruz, Chacón y Beltrán de Santa Cruz

Die Dissertation interpretiert den Schild auf dem Teller als Kombination der Wappen von vier Familienlinien, die durch diese Namen vertreten werden:

  • Herrera

  • Beltrán de Santa Cruz

  • Chacón

  • Beltrán de Santa Cruz

Das zusammengesetzte Wappen kann daher nicht nur als dekoratives Element, sondern auch als visuelle Darstellung von Gonzalos Abstammung gelesen werden.

Die hier wiedergegebene Zuordnung der einzelnen Bereiche des Schildes folgt der heraldischen Interpretation in der Dissertation und in Museumsquellen.

Von der Stadtverwaltung Havannas zu den Cortes von Cádiz

Gonzalo bekleidete das Amt eines lebenslangen Stadtrats von Havanna.

Er war außerdem ordentlicher Bürgermeister von Havanna, bekleidete eine Funktion innerhalb der Santa Hermandad und nahm als Vertreter Floridas an den Cortes von Cádiz teil.

Die Santa Hermandad war eine Institution mit Aufgaben im Bereich der Sicherheit und Rechtspflege in ländlichen Gebieten und im Umland der Städte.

Gonzalo diente dem spanischen König außerdem als königlicher Kammerherr mit Zutrittsrecht.

Seine Tätigkeit erstreckte sich somit über mehrere Bereiche:

Stadtverwaltung von Havanna
├─ Lebenslanger Stadtrat
├─ Ordentlicher Bürgermeister
└─ Funktion innerhalb der Santa Hermandad

Politik des Spanischen Reiches
└─ Vertreter Floridas in den Cortes von Cádiz

Spanischer Königshof
└─ Königlicher Kammerherr mit Zutrittsrecht

Die erhaltenen biografischen Quellen zeigen, dass Gonzalo nicht nur mit der Gesellschaft Havannas verbunden war, sondern auch mit der Politik des Spanischen Reiches und dem Königshof.

Orden, Auszeichnungen und königliche Anerkennung

1815 wurde Gonzalo pensionierter Ritter des Königlichen und Ausgezeichneten Spanischen Ordens Karls III.

Außerdem wird berichtet, dass er die französische Auszeichnung der Lilie der Vendée erhielt.

Unterhalb des Wappens auf dem Teller erscheint der Wahlspruch des Ordens Karls III.:

VIRTUTI ET MERITO

Er lässt sich mit „Der Tugend und dem Verdienst“ übersetzen.

Die Dissertation bringt außerdem ein weiteres, von Oliven- und Palmzweigen getragenes Emblem mit der Auszeichnung der Lilie der Vendée in Verbindung.

Das heraldische Bildprogramm des Tellers kann daher so interpretiert werden, dass es nicht nur Elemente von Gonzalos Abstammung, sondern auch Hinweise auf seine persönlichen Ehrungen und seine Beziehung zur spanischen Krone enthält.

1816: Gonzalo wird Graf von Fernandina

Am 10. Mai 1816 verlieh König Ferdinand VII. von Spanien Gonzalo den Titel Graf von Fernandina, mit dem Vizegrafentitel von Casa Herrera als vorausgehendem Titel.

Datum und Ort der Herstellung des Tafelservices sind weiterhin ungeklärt.

Die Dissertation von 2023 klassifiziert das Service einschließlich der Teller desselben Typs als französisch, um 1816. Aufgrund fehlender Marken und unter Berücksichtigung des französischen kulturellen Einflusses auf die Oberschicht Havannas jener Zeit erörtert die Dissertation die Möglichkeit, das Service der weit gefassten Kategorie der sogenannten „Pariser Porzellane“ zuzuordnen.

Der öffentliche Datensatz des gleichartigen Tellers CE09258 im Museo Nacional de Artes Decorativas in Madrid datiert ihn dagegen allgemeiner in das 19. Jahrhundert und nennt als Herstellungsort „Deutschland [zu bestätigen]“.

Nach dem gegenwärtigen Stand der Forschung sind daher das genaue Herstellungsdatum, der Herstellungsort und der Hersteller nicht geklärt.

Gleichzeitig vereint der Teller bildliche Elemente, die mit Gonzalos Rang und seinen Ehrungen nach der Verleihung des Titels vereinbar sind: eine Grafenkrone, Schlüssel, die als Hinweis auf seine Stellung als königlicher Kammerherr interpretiert werden, sowie den Orden Karls III.

Aus diesem Grund bleibt ein Zusammenhang zwischen dem Tafelservice und der Schaffung des Grafentitels im Jahr 1816 eine wichtige Hypothese, die weiter untersucht werden sollte.

Bislang wurden jedoch keine Bestellunterlagen, Herstellungsaufzeichnungen oder Quellen gefunden, aus denen hervorgeht, wer das Service in Auftrag gab.

Es ist daher möglich, dass das Service geschaffen wurde, um den Status des neu ernannten Grafen von Fernandina und seiner Familie zum Ausdruck zu bringen. Gegenwärtig lässt sich jedoch nicht als Tatsache behaupten, dass es eigens zur Erinnerung an die Verleihung des Titels hergestellt wurde.

Die unterschiedlichen Angaben zu Datierung und Herstellungsort in der Dissertation und im Museumsdatensatz lassen auch diese Frage für weitere Forschungen offen.

Zeittafel des ersten Grafen von Fernandina

14. Mai 1761
│
└─ Gonzalo José Herrera y Santa Cruz
   Wird in Havanna geboren

17. August 1786
│
└─ Heiratet María Josefa Herrera y Zayas Bazán
   Tochter des fünften Marquis von Villalta

Datum nicht bestimmt
│
├─ Lebenslanger Stadtrat von Havanna
├─ Ordentlicher Bürgermeister von Havanna
├─ Funktion innerhalb der Santa Hermandad
├─ Vertreter Floridas in den Cortes von Cádiz
└─ Königlicher Kammerherr mit Zutrittsrecht

1815
│
├─ Wird pensionierter Ritter des
│  Königlichen und Ausgezeichneten Spanischen Ordens Karls III.
└─ Erhält die Auszeichnung der Lilie der Vendée

10. Mai 1816
│
├─ Mit dem Vizegrafentitel von Casa Herrera als vorausgehendem Titel
└─ Wird zum ersten Grafen von Fernandina erhoben

Um 1816
│
└─ Die Dissertation klassifiziert das Tafelservice
   als französisch und datiert es ungefähr in diese Zeit

Hinweis: Das genaue Herstellungsdatum, der Herstellungsort und der Hersteller sind weiterhin ungeklärt.

3. Mai 1818
│
└─ Gonzalo stirbt in Havanna
   │
   └─ Der Titel geht auf seinen Sohn José María über

Nach dem Tod des ersten Grafen — Nachfolge des zweiten Grafen

Gonzalo starb am 3. Mai 1818, etwa zwei Jahre nachdem ihm der Titel Graf von Fernandina verliehen worden war.

1819 trat sein Sohn José María de Herrera y Herrera offiziell die Nachfolge im Titel an.

28. April 1819

Für José María wurde eine königliche Nachfolgeurkunde ausgestellt.

19. Juli 1819

José María leistete den mit der Würde eines königlichen Kammerherrn mit Zutrittsrecht verbundenen Eid.

23. Juli 1819

Das Ereignis wurde im Diario del Gobierno de La Habana veröffentlicht.

Die Zeitung bezeichnete José María zu diesem Zeitpunkt bereits als:

  • Graf von Fernandina

  • Ritter des Ordens Karls III.

  • Ehrenoberst der Kavallerie

Dieses Dokument zeigt, dass der Titel mit dem Tod des ersten Grafen nicht erlosch, sondern auf seinen Sohn überging.

10. Dezember 1819

Ein „Graf von Fernandina“ erscheint unter den Personen, die 102 Pesos für die Reparatur und Verbesserung eines Theaters in Havanna verliehen.

Der Artikel nennt lediglich den Titel und keinen persönlichen Namen.

Da die Titelnachfolge zu diesem Zeitpunkt bereits erfolgt war, ist es plausibel, dass damit der zweite Graf José María gemeint war. Diese Identifizierung bleibt jedoch eine Schlussfolgerung.

15. Dezember 1819

Dem zweiten Grafen José María wurde die Würde eines Granden von Spanien verliehen.

Nach dem Tod des ersten Grafen — Titelnachfolge und Schicksal des Tafelservices

Die Nachfolge des Adelstitels von Gonzalo auf seinen Sohn José María lässt sich anhand dokumentarischer Quellen nachvollziehen.

Die Geschichte des Tafelservices selbst ist dagegen wesentlich weniger klar.

Derzeit ist nicht bekannt, wer das Service nach Gonzalos Tod erhielt, wo es aufbewahrt wurde oder auf welche Weise es genutzt wurde.

Es ist möglich, dass das Service innerhalb der Familie des Grafen verblieb, etwa bei seiner Ehefrau oder seinem Sohn. Bislang wurde jedoch kein Haushaltsinventar, Erbschaftsdokument, Verkaufsnachweis oder eine andere Quelle gefunden, mit deren Hilfe sich die Weitergabe einzelner Stücke nachvollziehen ließe.

Ebenso ist unbekannt, ob solche Unterlagen niemals angefertigt wurden, später verloren gingen oder bislang unentdeckt beziehungsweise unveröffentlicht geblieben sind.

Daher lässt sich weder behaupten, dass das Service nach dem Tod des ersten Grafen innerhalb der Familie weiterverwendet wurde, noch dass es an eine bestimmte Person überging.

Heute sind erhaltene Stücke in mehreren unterschiedlichen Sammlungen dokumentiert. Wann und auf welchen Wegen sie auseinandergerieten, ist jedoch weiterhin ungeklärt.

Die Geschichte der Titelnachfolge und die Provenienz der einzelnen Stücke des Tafelservices müssen getrennt voneinander betrachtet werden.

Was uns der Wappenteller erzählen kann

Das in der Mitte des Tellers dargestellte Wappen enthält Informationen, die über eine rein dekorative Funktion hinausgehen.

Durch den Vergleich mit der Dissertation und Museumsquellen lassen sich Elemente erkennen, die als Schild mehrerer Familienlinien, Grafenkrone, mit Gonzalos Stellung als königlicher Kammerherr verbundene Schlüssel sowie mit seinen Ehrungen zusammenhängende Orden und Wahlsprüche interpretiert werden.

Die auf dem Teller selbst sichtbaren Elemente können daher in Beziehung gesetzt werden zu:

Abstammung
+
Adelstitel
+
Beziehung zum Königshof
+
Orden und Auszeichnungen

Gonzalos Tätigkeit in der Stadtverwaltung Havannas und seine Funktion als Vertreter Floridas in den Cortes von Cádiz sind dagegen aus biografischen und historischen Quellen bekannt und nicht aus der Bildsprache des Tellers selbst abzulesen.

Durch die Verbindung dieser beiden Arten von Quellen lässt sich der erste Graf von Fernandina aus einer umfassenderen Perspektive betrachten.

Es reicht nicht aus, ihn lediglich als einen „kubanischen Zuckeraristokraten“ zu beschreiben.

Die erhaltenen Quellen zeigen einen Mann, dessen Leben mit der Stadtverwaltung Havannas, den politischen Institutionen des Spanischen Reiches, dem Königshof und dem monarchischen Ehrensystem verbunden war.

Ein einzelner Wappenteller kann nicht seine gesamte Lebensgeschichte erzählen.

Durch den Vergleich seiner Ikonografie mit Museumsquellen, wissenschaftlichen Arbeiten und historischen Dokumenten wird der Teller jedoch zu einem möglichen Ausgangspunkt für die Erforschung des ersten Grafen und seiner Familie.

Auch hinsichtlich des in Japan identifizierten Exemplars bleiben zahlreiche Fragen offen.

Aus diesem Grund wird die Forschung fortgesetzt, wobei klar zwischen dem unterschieden wird, was derzeit dokumentiert werden kann, und dem, was weiterhin eine Hypothese bleibt.

Verwandte Forschungsberichte

Wappenteller der Familie des ersten Grafen von Fernandina | Forschungsbericht zum in Japan erhaltenen Exemplar →

Sechs Teller mit derzeit dokumentiertem Standort | Die Wappenteller der Familie des ersten Grafen von Fernandina heute →

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アーモリアル陶磁器と紋章文化を、個人研究として記録・考察しています。 いつか、おばあちゃんになったら、静かなミニ紋章ミュージアムを開くのが夢です。

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