19世紀の地図から探るフェルナンディナ伯爵邸の所在地
2026.08.06 23:05
フェルナンディナ伯爵家の紋章入り磁器を調査するなかで、私はその食器がかつて置かれていた邸宅にも関心を持つようになりました。
伯爵家はどのような場所に住み、どのような空間で生活していたのか。
そして、邸宅に収められていた絵画、家具、銀器、磁器などの家財は、伯爵家の財政的な衰退とともに、いつ、どのように散逸していったのか。
紋章皿の来歴を考えるには、その所有者の名前を特定するだけでは十分ではありません。所有者の家系、仕事、生活、邸宅、財産の移動まで追うことで、初めて一枚の皿が置かれていた歴史的背景が見えてきます。
今回の調査では、19世紀に制作されたリトグラフと1865年の高精細なハバナ地図を照合し、セロ地区に存在したフェルナンディナ伯爵家の別邸、
Quinta del Conde de la Fernandina
の所在地と考えられる区画を絞り込みました。
フェデリコ・ミアルヘが描いたフェルナンディナ伯爵邸
フェルナンディナ伯爵邸の外観は、フランス出身の画家・石版画家フェデリコ・ミアルヘによるリトグラフに残されています。
作品名は、
Vista de la Quinta del Escmo. Sor. Conde de Fernandina (Cerro)
日本語では、おおよそ「セロにあるフェルナンディナ伯爵閣下の別邸の眺め」と訳すことができます。
この作品は、1839年から1842年頃にハバナで刊行された版画シリーズ『La Isla de Cuba Pintoresca』の第2図として収録されました。
Cuba Museoに残された同シリーズの解説によれば、『La Isla de Cuba Pintoresca』はハバナおよびキューバ各地を描いた49点の版画から構成され、フェルナンディナ伯爵邸は、ハバナとその周辺を扱った33点のうちの一つです。作品はミアルヘ自身によって描かれ、石版化されたと説明されています。
版画を見ると、邸宅は広い道路に正面を向けて建っています。
中央には三角形の破風と列柱を備えた主屋があり、その左側には道路に沿って長い列柱廊が延びています。前面には鉄柵が設けられ、その奥には庭園と樹木が描かれています。
建物が庭園の奥深くに隠された構成ではなく、主要街道に長い正面を見せる郊外邸宅であったことが分かります。
※Cuba Museo掲載画像には透かしがあり、再利用条件も確認できていないため、公開記事への転載は保留しています。
1853年のハバナ都市図にも描かれた伯爵邸
同じ邸宅は、1853年にハバナで刊行された都市図、
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
の周囲を飾る建築図の一つとしても描かれています。
図版の下には、
QUINTA DEL E.S. CONDE DE LA FERNANDINA
と記されています。
建物中央の列柱玄関、三角形の破風、左側に延びる長い列柱廊、道路沿いの柵など、ミアルヘの単独リトグラフと共通する特徴が確認できます。
この邸宅がハバナの都市図を飾る主要建築の一つとして選ばれていることからも、単なる私的住宅ではなく、当時注目された邸宅の一つだったことがうかがえます。

B. May y Ca.
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
ハバナ、1853年
部分図「Quinta del E.S. Conde de la Fernandina」
David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford University Libraries
List No. 5444.000
伯爵邸が存在したセロ地区
後世の建築史・地域史資料では、この邸宅はハバナのセロ地区を通る主要街道、
Calzada del Cerro
に面していたとされています。
また、敷地は約24 solaresに及び、邸宅左側の庭園は、
Calle Consejero Arango
まで達していたと記述されています。
この記述を歴史地図上で検証するため、次の条件を満たす区画を探しました。
Calzada del Cerroに面していること
Consejero Arango付近に位置すること
周囲の一般的な宅地区画より大きいこと
道路沿いに長い間口を持つこと
邸宅と庭園を収められる奥行きがあること
1865年のハバナ地図
所在地の検討に使用したのは、1865年にパリで刊行された、
Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro
です。

この地図はハバナ旧市街だけでなく、城壁外の市街地とセロ地区までを、約1対3,500という詳細な縮尺で描いています。
地図の基本情報は次のとおりです。
原案・著者:Luigi Pelion di Persana
彫版:J. Geisendörfer
出版地:パリ
刊行年:1865年
所蔵:フランス国立図書館
請求記号:GE C-9528
高解像度画像は、フランス国立図書館の資料をもとにWikimedia Commonsで公開されています。
原作品および公開画像はパブリックドメインと表示されているため、出典と作者名を明記したうえで、記事内の歴史資料として使用できます。
地図の方角を確認する
この地図を読む際、最初に注意しなければならなかったのが方角です。
現代の地図のように、画面の上がそのまま北を示しているわけではありません。
地図内に描かれた方位記号を確認すると、北は画面上方ではなく斜め方向を指しています。そのため、画面上での右・左・上・下だけを基準に区画を判断すると、通りや交差点の位置関係を誤る可能性があります。
実際の調査でも、地図の向きを確認したことで、当初注目していた区画とは別の区画が候補として浮かび上がりました。
Calzada del CerroとConsejero Arango
高解像度地図を拡大して確認すると、
Calzada del Cerro
と、
Consejero Arango
の通り名を読み取ることができます。
両者の交差点周辺には、一般的な宅地区画よりも明らかに大きな、不整形の区画が確認できます。
そのなかでも特に注目されるのが、Calzada del Cerroに長く面し、Consejero Arangoの近くまで広がる大区画です。
この区画は、道路沿いに細長く接する部分と、その奥に広がる部分から成っています。
その形状は、ミアルヘのリトグラフに描かれた、
Calzadaに沿って延びる長い列柱廊
道路に正面を向けた主屋
建物の側方および背後に広がる庭園
という配置と矛盾しません。
また、「庭園がConsejero Arangoまで達していた」という記述とも、おおむね整合します。
最有力候補地
以上の資料を照合すると、フェルナンディナ伯爵家の別邸は、
Calzada del Cerroに面し、Consejero Arango付近まで広がる大区画
に存在した可能性が高いと考えられます。
今回作成した推定図では、1865年地図上の該当すると考えられる範囲を赤枠で示しました。
ただし、1865年地図上に「Fernandina」という所有者名が直接記載されているわけではありません。
現段階では地籍簿、登記簿、公証記録などによる最終確認ができていないため、所在地を断定せず、
Quinta del Conde de la Fernandinaの最有力候補地
として提示します。

1865年の『Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro』に描かれた、Calzada del CerroとConsejero Arangoの交差点周辺。
邸宅の所在地・敷地規模に関する文献記述と、版画に描かれた建築配置を照合すると、赤枠内の大区画がフェルナンディナ伯爵邸の敷地であった可能性が高い。ただし、現段階では暫定的な比定であり、地籍・登記・公証資料による確認を必要とする。
原図:Bibliothèque nationale de France/Wikimedia Commons
切り抜き・加筆:ARIRIA Heritage Collection
約2時間を要した通り名の確認
今回の所在地推定は、検索結果に表示された住所をそのまま地図へ置いたものではありません。
高解像度の古地図を拡大し、地図の方位を確認しながら、通り名と交差点を一文字ずつ読み取りました。
Calzada del Cerroを追い、Consejero Arangoの表記を探し、交差点の位置と周辺区画の形状を確認する作業だけでも、約2時間を要しました。
華やかな伯爵邸の調査とは裏腹に、実際の作業は、潰れた文字と細い地図線を繰り返し見比べる、非常に地道なものです。
しかし、この作業を省略すれば、地図の向きや候補区画を誤ったまま、所在地を断定してしまうおそれがあります。
AIは調査の入口
AIに「フェルナンディナ伯爵について教えて」と質問すれば、人物の概要や家系、爵位、邸宅に関する情報をある程度まで得ることはできます。
しかし、その回答には、確認済みの事実だけでなく、二次資料の要約、一般的な時代背景、推定が混在している場合があります。
今回の調査でも、AIは検索語や資料候補を得るための入口として使用しました。
その一方で、最終的な判断は、
実際に閲覧できた版画
地図の原画像
作品名とキャプション
地図内の方位記号
通り名
交差点
区画形状
公開資料の本文
を、自分の目で確認したうえで行っています。
AIが示した答えをそのまま採用するのではなく、資料そのものへ降りて確認することが、ARIRIA Heritage Collectionの調査方針です。
今後確認したい資料
所在地を確定するためには、今後さらに次の資料を調査する必要があります。
セロ地区の地籍図
土地台帳
不動産登記
公証人による売買・抵当証書
差押え・競売記録
Pedro Lacosteへの財産移転記録
伯爵邸敷地の分筆図
Calzada del Cerroの旧番地と現番地の対応表
後年の建築許可・道路整備資料
邸宅が医療・教育・公共施設へ転用された際の記録
特に、フェルナンディナ家の主要債権者とされるPedro Lacosteの名前が記された売買・抵当・土地分割資料が見つかれば、今回の候補区画を確定できる可能性があります。
「今後の課題」をひとつずつ確認する
一般的な調査であれば、皿に描かれた紋章がフェルナンディナ伯爵家のものだと分かった時点で、調査は完了するのかもしれません。
しかし、ARIRIA Heritage Collectionでは、そこを調査の出発点と考えています。
その人物は、どのような家に住んでいたのか。
どのような仕事をし、どのような生活を送っていたのか。
その邸宅には何が置かれ、家財はいつ、なぜ、どのように散逸したのか。
一枚の紋章皿を、その所有者が生きた空間と歴史の中へ戻すためには、こうした問いを一つずつ確認していく必要があります。
今回も、
1839–1842年頃の単独リトグラフ
1853年の都市図に掲載された建築図
邸宅の敷地規模を伝える記述
Calzada del CerroとConsejero Arangoという通り名
1865年の高精細地図
地図内の方位
現代の街路配置
を照合することで、初めて候補区画が見えてきました。
まだ所在地が完全に確定したわけではありません。
しかし、「今後の課題」とされていた空白を、実際の資料によって一つずつ埋めていくことこそ、この調査の目的であり、楽しさでもあります。
調査・記述方針
本稿は、ARIRIA Heritage Collectionの調査・記述方針に基づき、AIを資料探索の補助として用いながら、公開史料、原図、地図、作品情報を実際に確認し、比較・検討して作成しました。
確認できた事実と推定を区別し、一次資料、地籍、登記、公証資料による確認が完了していない点については、断定を避けています。
調査方針の詳細は、以下をご覧ください。
ARIRIA Heritage Collection 調査・記述ポリシー
https://ariria.net/blog/armorial-policy
Tracing the Site of the Count of Fernandina’s Country Estate through Nineteenth-Century Maps
While researching the armorial porcelain of the Count of Fernandina’s family, I became increasingly interested in the residence where these pieces may once have been used.
What kind of place did the family live in, and what was everyday life there like?
And as the family’s financial position declined, when and how were the paintings, furniture, silverware, porcelain, and other household possessions once kept in the residence dispersed?
To investigate the provenance of an armorial plate, identifying the name of its owner is not enough. Only by tracing the owner’s family, occupation, daily life, residences, and the movement of property can we begin to understand the historical setting in which a single plate once existed.
For this study, I compared a nineteenth-century lithograph with a high-resolution map of Havana published in 1865 and narrowed down the area most likely to have contained the Count of Fernandina’s country estate in the Cerro district:
Quinta del Conde de la Fernandina
The Fernandina Estate as Depicted by Federico Mialhe
The appearance of the Count of Fernandina’s estate survives in a lithograph by Federico Mialhe, a French painter and lithographer.
The work is titled:
Vista de la Quinta del Escmo. Sor. Conde de Fernandina (Cerro)
This may be translated approximately as:
“View of the Country Estate of His Excellency the Count of Fernandina in Cerro.”
The work appeared as Plate 2 in La Isla de Cuba Pintoresca, a series of prints published in Havana around 1839–1842.
According to Cuba Museo’s description of the series, La Isla de Cuba Pintoresca consisted of 49 prints depicting Havana and other parts of Cuba. The Fernandina estate was one of 33 views devoted to Havana and its surroundings. The description states that the work was both drawn and lithographed by Mialhe himself.
The lithograph shows the residence facing a broad road.
At the center stands the main house, with a triangular pediment and a columned entrance. To its left, a long colonnade extends along the road. An iron fence runs across the front of the property, with gardens and trees visible beyond it.
Rather than being hidden deep within a garden, the house appears to have been a suburban estate presenting a long and prominent frontage to a major road.
The image published by Cuba Museo contains a watermark, and its conditions of reuse have not been confirmed. For this reason, publication of the image in this article remains on hold.
The Estate Also Appears on an 1853 Map of Havana
The same residence appears among the architectural views surrounding a city map published in Havana in 1853:
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
The caption beneath the illustration reads:
QUINTA DEL E.S. CONDE DE LA FERNANDINA
The central columned entrance, triangular pediment, long colonnade extending to the left, and fence along the road correspond closely to the features shown in Mialhe’s individual lithograph.
The fact that the estate was selected as one of the principal buildings used to decorate a map of Havana also suggests that it was not regarded merely as a private residence, but as one of the notable properties of its time.

B. May y Ca.
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
Havana, 1853
Detail: “Quinta del E.S. Conde de la Fernandina”
David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford University Libraries
List No. 5444.000
The Cerro District, Where the Estate Stood
Later sources on architectural and local history state that the estate stood beside the principal road running through Havana’s Cerro district:
Calzada del Cerro
The property is also described as occupying approximately 24 solares, with the garden on the left side of the residence extending as far as:
Calle Consejero Arango
To examine this description on a historical map, I searched for a property that met the following conditions:
It faced Calzada del Cerro.
It was located near Consejero Arango.
It was considerably larger than the surrounding residential plots.
It had a long frontage along the road.
It had sufficient depth to accommodate both the residence and its gardens.
The 1865 Map of Havana
The map used for this investigation was published in Paris in 1865:
Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro

The map covers not only Havana’s old walled city, but also the districts outside the walls and the Cerro area, at the detailed scale of approximately 1:3,500.
Its basic bibliographic information is as follows:
Original author and compiler: Luigi Pelion di Persana
Engraver: J. Geisendörfer
Place of publication: Paris
Year of publication: 1865
Holding institution: Bibliothèque nationale de France
Shelf mark: GE C-9528
A high-resolution image based on the copy held by the Bibliothèque nationale de France is available through Wikimedia Commons.
The original work and the publicly available image are both listed as being in the public domain. They are presented in this article as historical source material, with the author and holding institution credited.
Checking the Map’s Orientation
The first point requiring attention when reading this map was its orientation.
Unlike a modern digital map, the upper edge of the image does not automatically correspond to north.
The directional marker printed on the map shows that north points diagonally rather than directly toward the top of the image. Judging the position of streets and intersections solely by what appears to be right, left, above, or below on the screen could therefore lead to errors.
In fact, once the map’s orientation had been confirmed, a different plot from the one initially considered emerged as the stronger candidate.
Calzada del Cerro and Consejero Arango
When the high-resolution map is enlarged, the street names
Calzada del Cerro
and
Consejero Arango
can both be read.
Near their intersection is a large, irregularly shaped property that is clearly different in scale from the ordinary residential plots surrounding it.
Of particular interest is a substantial plot with a long frontage on Calzada del Cerro, extending toward the vicinity of Consejero Arango.
The plot consists of a long section facing the road and a broader area extending behind it.
Its shape does not conflict with the arrangement depicted in Mialhe’s lithograph:
a long colonnade extending along the Calzada;
a main house facing the road;
gardens spreading to the side and rear of the building.
It is also broadly consistent with the description that the garden extended as far as Consejero Arango.
The Most Likely Candidate Site
When the available sources are considered together, it appears highly likely that the Count of Fernandina’s country estate stood within:
a large property facing Calzada del Cerro and extending toward the vicinity of Consejero Arango

In the interpretive map prepared for this study, the area considered most likely to correspond to the estate is outlined in red.
However, the name “Fernandina” is not written directly on this property in the 1865 map.
Because final confirmation through cadastral registers, property records, notarial documents, or related primary sources has not yet been obtained, I do not present the location as definitively identified.
Instead, it is described as:
the most likely candidate site of the Quinta del Conde de la Fernandina
The area around the intersection of Calzada del Cerro and Consejero Arango, as shown on the 1865 Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro.
When the documented location and approximate scale of the property are compared with the architectural arrangement shown in the lithographs, the large plot outlined in red is consistent with the possibility that it formed part of the Count of Fernandina’s estate.
However, this identification remains provisional and requires confirmation through cadastral, property-registration, and notarial records.
Original map: Bibliothèque nationale de France / Wikimedia Commons
Crop and annotations: ARIRIA Heritage Collection
Nearly Two Hours Spent Confirming the Street Names
This proposed location was not produced simply by taking an address shown in a search result and placing it on a map.
I enlarged the high-resolution historical map and examined its orientation while reading the street names and intersections one character at a time.
Tracing Calzada del Cerro, locating the name Consejero Arango, and confirming the intersection and surrounding plot shapes required approximately two hours of work.
Despite the grandeur associated with researching a count’s estate, the actual process consisted largely of repeatedly comparing blurred lettering with fine lines on an old map.
Yet omitting this stage could result in the orientation of the map or the candidate plot being misread, followed by an unjustified claim that the location had been definitively identified.
AI as a Starting Point for Research
When asked about the Count of Fernandina, an AI system may provide an outline of the individual, the family, the title, and the residence.
However, such answers may combine confirmed facts with summaries of secondary sources, general historical context, and inference.
In this investigation, AI was used as an entry point for identifying search terms and possible source materials.
The final assessment, however, was based on my own examination of:
the lithographs that could actually be viewed;
the original map images;
titles and captions;
the directional marker on the map;
street names;
intersections;
plot shapes;
and the text of publicly available sources.
Rather than accepting an AI-generated answer as a conclusion, ARIRIA Heritage Collection’s research policy is to proceed to the underlying materials and verify them directly.
Sources Still to Be Consulted
To establish the location definitively, the following materials require further investigation:
cadastral maps of the Cerro district;
land registers;
property-registration records;
notarized deeds of sale and mortgage;
seizure and auction records;
records of property transfers to Pedro Lacoste;
subdivision plans for the estate;
concordances between historical and present-day addresses on Calzada del Cerro;
later building permits and road-development records;
records concerning the residence’s possible conversion into a medical, educational, or other public institution.
In particular, if documents can be found recording the name of Pedro Lacoste—described as one of the Fernandina family’s principal creditors—in connection with a sale, mortgage, or division of the land, they may make it possible to confirm the candidate property identified here.
Working Through the Remaining Questions One by One
In a more conventional investigation, identifying the coat of arms on a plate as that of the Count of Fernandina’s family might be considered the end of the research.
At ARIRIA Heritage Collection, however, I regard that identification as the beginning.
What kind of house did the owner live in?
What work did the owner perform, and what kind of life did the family lead?
What objects were kept in the residence, and when, why, and through what process were its contents dispersed?
To return a single armorial plate to the life and historical setting of its owner, these questions must be examined one by one.
In this investigation, the candidate site became visible only after comparing:
an individual lithograph dating from around 1839–1842;
an architectural view included on an 1853 city map;
a written description of the size of the property;
the street names Calzada del Cerro and Consejero Arango;
a high-resolution map published in 1865;
the orientation shown on that map;
and the modern street layout.
The location has not yet been established with complete certainty.
Nevertheless, using actual historical materials to fill the gaps that remain under “future research” is both the purpose and the pleasure of this investigation.
Research and Editorial Policy
This article was prepared in accordance with the research and editorial policy of ARIRIA Heritage Collection.
AI was used as an aid in locating possible sources, while publicly available historical materials, original images, maps, and information concerning the works themselves were directly examined, compared, and evaluated.
Confirmed facts have been distinguished from interpretation. Where verification through primary sources, cadastral records, property registrations, and notarial documents has not yet been completed, definitive claims have been avoided.
Further details are available here:
ARIRIA Heritage Collection Research and Editorial Policy
https://ariria.net/blog/armorial-policy
En busca del emplazamiento de la quinta del conde de la Fernandina a través de mapas del siglo XIX
Durante mis investigaciones sobre la porcelana heráldica de la familia del conde de la Fernandina, empecé a interesarme también por la residencia en la que estas piezas pudieron haber sido utilizadas en otro tiempo.
¿En qué tipo de lugar vivía la familia y cómo era allí su vida cotidiana?
Y, a medida que la situación económica de la familia fue deteriorándose, ¿cuándo y de qué manera se dispersaron las pinturas, los muebles, la platería, las porcelanas y los demás bienes domésticos que habían formado parte de aquella residencia?
Para investigar la procedencia de un plato heráldico, no basta con identificar el nombre de su propietario. Solo al seguir también su familia, su actividad, su vida cotidiana, sus residencias y los movimientos de su patrimonio comienza a hacerse visible el contexto histórico en el que una pieza concreta tuvo alguna vez su lugar.
Para este estudio comparé una litografía del siglo XIX con un mapa de La Habana de 1865 disponible en alta resolución, y así pude acotar la zona en la que pudo haberse encontrado la quinta del conde de la Fernandina en el barrio del Cerro:
Quinta del Conde de la Fernandina
La quinta de Fernandina representada por Federico Mialhe
El aspecto de la residencia del conde de la Fernandina se conserva en una litografía de Federico Mialhe, pintor y litógrafo francés.
La obra lleva por título:
Vista de la Quinta del Escmo. Sor. Conde de Fernandina (Cerro)
El título se refiere, aproximadamente, a una vista de la quinta de Su Excelencia el conde de Fernandina en el Cerro.
La obra apareció como lámina n.º 2 de La Isla de Cuba Pintoresca, una serie de estampas publicada en La Habana hacia 1839–1842.
Según la descripción de la serie conservada por Cuba Museo, La Isla de Cuba Pintoresca estaba compuesta por 49 estampas que representaban La Habana y otros lugares de Cuba. La quinta de Fernandina era una de las 33 vistas dedicadas a La Habana y sus alrededores. La descripción señala además que la obra fue dibujada y litografiada por el propio Mialhe.
En la litografía, la residencia aparece orientada hacia una vía amplia.
En el centro se levanta el edificio principal, con un frontón triangular y una entrada con columnas. A su izquierda se extiende, siguiendo la carretera, una larga columnata. Una verja de hierro recorre el frente de la propiedad y, tras ella, se observan jardines y árboles.
Por tanto, el edificio no parece haber estado oculto en lo profundo de un jardín. Más bien se presentaba como una importante quinta suburbana con un largo frente hacia una vía principal.
La imagen publicada por Cuba Museo contiene una marca de agua y no ha sido posible confirmar sus condiciones de reutilización. Por esta razón, su reproducción en este artículo queda, por el momento, en suspenso.
La residencia también aparece en un plano de La Habana de 1853
La misma residencia figura entre las vistas arquitectónicas que rodean un plano urbano publicado en La Habana en 1853:
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
Bajo la ilustración se lee:
QUINTA DEL E.S. CONDE DE LA FERNANDINA
La entrada central con columnas, el frontón triangular, la larga columnata que se prolonga hacia la izquierda y la verja junto a la carretera presentan características comunes con las que aparecen en la litografía individual de Mialhe.
El hecho de que esta residencia fuera seleccionada como uno de los principales edificios destinados a decorar un plano de La Habana sugiere también que no era considerada únicamente una vivienda privada, sino una de las propiedades destacadas de su época.

B. May y Ca.
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
La Habana, 1853
Detalle: «Quinta del E.S. Conde de la Fernandina»
David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford University Libraries
List No. 5444.000
El barrio del Cerro, donde se encontraba la residencia
Fuentes posteriores de historia de la arquitectura y de historia local indican que la residencia se encontraba junto a una de las principales vías del barrio del Cerro, en La Habana:
Calzada del Cerro
La propiedad se describe asimismo como un terreno de aproximadamente 24 solares, y se señala que el jardín situado a la izquierda de la residencia llegaba hasta:
Calle Consejero Arango
Para examinar esta descripción sobre un mapa histórico, busqué una propiedad que reuniera las siguientes condiciones:
estar situada frente a Calzada del Cerro;
encontrarse cerca de Consejero Arango;
ser considerablemente mayor que las parcelas residenciales ordinarias de su entorno;
presentar un frente largo a lo largo de la vía;
disponer de suficiente fondo para albergar tanto la residencia como sus jardines.
El plano de La Habana de 1865
Para estudiar la ubicación utilicé el plano publicado en París en 1865:
Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro

Este plano representa no solo la antigua ciudad intramuros de La Habana, sino también las zonas extramuros y el barrio del Cerro, con una escala detallada de aproximadamente 1:3.500.
Sus datos bibliográficos principales son los siguientes:
Autor y proyecto original: Luigi Pelion di Persana
Grabador: J. Geisendörfer
Lugar de publicación: París
Año de publicación: 1865
Institución depositaria: Bibliothèque nationale de France
Signatura: GE C-9528
En Wikimedia Commons se encuentra disponible una imagen de alta resolución basada en el ejemplar conservado por la Bibliothèque nationale de France.
Tanto la obra original como la imagen disponible públicamente figuran como pertenecientes al dominio público. En este artículo se presentan como fuentes históricas, con indicación del autor y de la institución depositaria.
Comprobar la orientación del mapa
Uno de los primeros aspectos que fue necesario tener en cuenta al leer este mapa fue su orientación.
A diferencia de un mapa digital moderno, la parte superior de la imagen no corresponde automáticamente al norte.
El signo de orientación representado en el propio mapa muestra que el norte apunta en diagonal, y no directamente hacia la parte superior de la imagen. Por ello, juzgar la posición de las calles y los cruces únicamente según lo que aparece a la derecha, a la izquierda, arriba o abajo en la pantalla podría llevar a errores.
De hecho, una vez comprobada la orientación del mapa, una parcela diferente de la que había considerado inicialmente apareció como una candidata más plausible.
Calzada del Cerro y Consejero Arango
Al ampliar la imagen de alta resolución pueden leerse los nombres:
Calzada del Cerro
y
Consejero Arango
En las inmediaciones de su intersección se observa una gran parcela de forma irregular, claramente distinta por sus dimensiones de los terrenos residenciales ordinarios que la rodean.
Resulta especialmente llamativa una gran parcela con un frente prolongado sobre Calzada del Cerro, que se extiende hacia las proximidades de Consejero Arango.
La parcela está formada por una sección alargada junto a la vía y una zona más amplia que se abre detrás de ella.
Su forma no contradice la disposición representada en la litografía de Mialhe:
una larga columnata extendida a lo largo de la Calzada;
un edificio principal orientado hacia la vía;
jardines situados a un lado y detrás del edificio.
También concuerda, en términos generales, con la descripción según la cual el jardín llegaba hasta Consejero Arango.
El emplazamiento más plausible entre los considerados
Al considerar conjuntamente las fuentes disponibles, parece probable que la quinta del conde de la Fernandina se encontrara dentro de:
una gran propiedad situada frente a Calzada del Cerro y extendida hacia las proximidades de Consejero Arango

En el mapa interpretativo elaborado para este estudio, he marcado con un contorno rojo la zona que considero más plausible.
Sin embargo, en el mapa de 1865 el nombre «Fernandina» no aparece escrito directamente sobre esta propiedad.
Dado que todavía no se ha obtenido una verificación definitiva mediante documentación catastral, registros de propiedad, protocolos notariales u otras fuentes primarias, no presento este emplazamiento como definitivamente establecido.
Por ello, lo describo como:
el emplazamiento más plausible de la Quinta del Conde de la Fernandina entre los considerados hasta el momento
El área en torno a la intersección de Calzada del Cerro y Consejero Arango, tal como aparece en el Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro de 1865.
Al comparar la ubicación y la extensión aproximada de la propiedad descritas en las fuentes con la disposición arquitectónica representada en las litografías, la gran parcela delimitada en rojo es coherente con la posibilidad de que formara parte de la propiedad del conde de la Fernandina.
Esta localización sigue siendo provisional y requiere confirmación mediante documentación catastral, registral y notarial.
Mapa original: Bibliothèque nationale de France / Wikimedia Commons
Recorte y anotaciones: ARIRIA Heritage Collection
Casi dos horas para confirmar los nombres de las calles
Esta propuesta de ubicación no se obtuvo simplemente tomando una dirección aparecida en un resultado de búsqueda y colocándola sobre un mapa.
Amplié el mapa histórico de alta resolución y comprobé su orientación mientras leía, carácter por carácter, los nombres de las calles y los cruces.
Seguir Calzada del Cerro, localizar la inscripción Consejero Arango y comprobar después la posición de la intersección y las formas de las parcelas circundantes requirió por sí solo unas dos horas de trabajo.
Aunque la investigación de la residencia de un conde pueda evocar una imagen elegante o llamativa, el trabajo real consistió sobre todo en comparar repetidamente letras difíciles de leer con las finas líneas de un mapa antiguo.
Sin embargo, omitir este proceso podría llevar a interpretar incorrectamente la orientación del mapa o la parcela candidata y, posteriormente, a presentar de forma injustificada una ubicación como definitivamente establecida.
La IA como punto de partida de la investigación
Si se pregunta a un sistema de IA sobre el conde de la Fernandina, puede ofrecer una descripción general de la persona, la familia, el título y la residencia.
Sin embargo, este tipo de respuestas puede mezclar hechos confirmados con resúmenes de fuentes secundarias, contexto histórico general e inferencias.
En esta investigación utilicé la IA como punto de partida para obtener términos de búsqueda y localizar posibles fuentes documentales.
La valoración final, sin embargo, se basa en mi propio examen de:
las litografías que pude consultar realmente;
las imágenes originales de los mapas;
los títulos y las leyendas;
el signo de orientación del mapa;
los nombres de las calles;
las intersecciones;
las formas de las parcelas;
y los textos de las fuentes disponibles públicamente.
La política de investigación de ARIRIA Heritage Collection consiste en no adoptar una respuesta generada por IA como conclusión, sino en acudir a los materiales en los que se basa y comprobarlos directamente.
Fuentes que aún quedan por consultar
Para poder establecer definitivamente la ubicación, será necesario investigar en el futuro los siguientes materiales:
planos catastrales del barrio del Cerro;
registros o libros de tierras;
documentación del registro de la propiedad;
escrituras notariales de compraventa y de hipoteca;
expedientes de embargo y de subasta o remate;
documentos relativos a transferencias de propiedad a Pedro Lacoste;
planos de división o parcelación de la propiedad;
correspondencias entre la numeración histórica y la actual de Calzada del Cerro;
permisos de construcción posteriores y documentación sobre obras o modificaciones viarias;
registros relativos a una posible transformación posterior de la residencia en establecimiento médico, educativo u otra institución pública.
En particular, si aparecieran documentos en los que Pedro Lacoste —señalado como uno de los principales acreedores de la familia del conde de la Fernandina— figurara en relación con una venta, una hipoteca o una división del terreno, estos podrían permitir confirmar la parcela candidata propuesta aquí.
Examinar una por una las cuestiones pendientes
En una investigación más convencional, identificar el escudo de armas de un plato como el de la familia del conde de la Fernandina podría considerarse el final de la investigación.
En ARIRIA Heritage Collection, sin embargo, considero esa identificación como el punto de partida.
¿En qué tipo de casa vivía el propietario?
¿A qué se dedicaba y qué clase de vida llevaba su familia?
¿Qué objetos se conservaban en la residencia y cuándo, por qué y de qué manera se dispersaron posteriormente sus bienes?
Para devolver un solo plato heráldico a la vida y al contexto histórico de su propietario, es necesario examinar estas preguntas una por una.
También en esta investigación, la parcela candidata comenzó a hacerse visible únicamente después de comparar:
una litografía individual datada hacia 1839–1842;
una vista arquitectónica incluida en un plano urbano de 1853;
una descripción escrita de la extensión de la propiedad;
los nombres Calzada del Cerro y Consejero Arango;
un mapa de alta resolución publicado en 1865;
la orientación indicada en ese mapa;
y el trazado actual de las calles.
La ubicación aún no ha podido establecerse con total certeza.
Sin embargo, ir completando una por una, mediante fuentes históricas realmente consultadas, las cuestiones que todavía permanecen abiertas es precisamente el propósito —y también el placer— de esta investigación.
Política de investigación y redacción
Este artículo fue preparado de acuerdo con la política de investigación y redacción de ARIRIA Heritage Collection.
La IA se utilizó como herramienta auxiliar para localizar posibles fuentes, mientras que los documentos históricos disponibles públicamente, las imágenes originales, los mapas y la información relativa a las obras fueron examinados, comparados y evaluados directamente.
Los hechos confirmados se han distinguido de las interpretaciones. Allí donde la comprobación mediante fuentes primarias, documentación catastral, registros de la propiedad y protocolos notariales aún no ha concluido, se han evitado afirmaciones definitivas.
Para más información:
Política de investigación y redacción de ARIRIA Heritage Collection
https://ariria.net/blog/armorial-policy
À la recherche du site de la résidence du comte de Fernandina à travers les cartes du XIXe siècle
En poursuivant mes recherches sur la porcelaine armoriée de la famille du comte de Fernandina, je me suis progressivement intéressée à la résidence dans laquelle ces pièces avaient peut-être autrefois été utilisées.
Dans quel type de lieu cette famille vivait-elle, et à quoi ressemblait sa vie quotidienne ?
Et, à mesure que la situation financière de la famille se dégradait, quand et comment les tableaux, meubles, pièces d’argenterie, porcelaines et autres biens domestiques conservés dans cette résidence se sont-ils dispersés ?
Pour étudier la provenance d’une assiette armoriée, il ne suffit pas d’identifier le nom de son propriétaire. Ce n’est qu’en retraçant sa famille, son activité, son mode de vie, ses résidences et les mouvements de son patrimoine que l’on peut commencer à comprendre le contexte historique dans lequel une seule assiette a autrefois existé.
Dans cette étude, j’ai comparé une lithographie du XIXe siècle avec une carte de La Havane publiée en 1865 et disponible en haute résolution, afin de circonscrire la zone la plus vraisemblable où se trouvait la résidence suburbaine du comte de Fernandina dans le quartier du Cerro :
Quinta del Conde de la Fernandina
La résidence de Fernandina représentée par Federico Mialhe
L’apparence de la résidence du comte de Fernandina nous est parvenue grâce à une lithographie de Federico Mialhe, peintre et lithographe français.
L’œuvre porte le titre :
Vista de la Quinta del Escmo. Sor. Conde de Fernandina (Cerro)
On peut approximativement le traduire en français par :
« Vue de la résidence de Son Excellence le comte de Fernandina au Cerro »
Cette œuvre fut publiée comme planche no 2 de La Isla de Cuba Pintoresca, une série d’estampes éditée à La Havane vers 1839–1842.
D’après la présentation de la série publiée par Cuba Museo, La Isla de Cuba Pintoresca comprenait 49 estampes représentant La Havane et d’autres régions de Cuba. La résidence de Fernandina figurait parmi les 33 vues consacrées à La Havane et à ses environs. Cette présentation indique également que l’œuvre fut dessinée et lithographiée par Mialhe lui-même.
La lithographie montre la résidence tournée vers une large voie.
Au centre se trouve le bâtiment principal, doté d’un fronton triangulaire et d’une entrée à colonnes. À sa gauche s’étend, le long de la route, une longue colonnade. Une grille en fer borde l’avant de la propriété ; derrière elle apparaissent des jardins et des arbres.
La demeure ne semble donc pas avoir été dissimulée au fond d’un vaste jardin. Elle se présentait plutôt comme une importante propriété suburbaine offrant une longue façade sur une voie principale.
L’image publiée par Cuba Museo comporte un filigrane, et les conditions de sa réutilisation n’ont pas pu être confirmées. Sa reproduction dans cet article est donc, pour le moment, suspendue.
La résidence apparaît également sur une carte de La Havane de 1853
La même résidence figure parmi les vues architecturales qui entourent une carte urbaine publiée à La Havane en 1853 :
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
Sous l’illustration apparaît la légende :
QUINTA DEL E.S. CONDE DE LA FERNANDINA
L’entrée centrale à colonnes, le fronton triangulaire, la longue colonnade s’étendant vers la gauche ainsi que la grille longeant la route présentent des caractéristiques communes avec celles visibles sur la lithographie individuelle de Mialhe.
Le fait que cette résidence ait été choisie parmi les principaux édifices destinés à orner une carte de La Havane laisse également penser qu’elle n’était pas considérée comme une simple demeure privée, mais comme l’une des propriétés remarquables de son époque.

B. May y Ca.
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
La Havane, 1853
Détail : « Quinta del E.S. Conde de la Fernandina »
David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford University Libraries
List No. 5444.000
Le quartier du Cerro, où se trouvait la résidence
Des sources postérieures consacrées à l’histoire de l’architecture et à l’histoire locale indiquent que la résidence se trouvait le long de l’un des principaux axes traversant le quartier du Cerro à La Havane :
Calzada del Cerro
La propriété aurait occupé environ 24 solares, et le jardin situé sur le côté gauche de la résidence aurait atteint :
Calle Consejero Arango
Afin d’examiner cette description sur une carte historique, j’ai recherché une propriété répondant aux critères suivants :
être située le long de Calzada del Cerro ;
se trouver à proximité de Consejero Arango ;
être nettement plus vaste que les parcelles résidentielles environnantes ;
posséder une longue façade sur la voie ;
disposer d’une profondeur suffisante pour accueillir à la fois la résidence et ses jardins.
La carte de La Havane de 1865
La carte utilisée pour cette recherche fut publiée à Paris en 1865 :
Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro

Elle couvre non seulement la vieille ville fortifiée de La Havane, mais également les quartiers situés hors des murs et la zone du Cerro, à une échelle détaillée d’environ 1:3 500.
Les principales informations bibliographiques sont les suivantes :
Auteur et concepteur : Luigi Pelion di Persana
Graveur : J. Geisendörfer
Lieu de publication : Paris
Année de publication : 1865
Institution détentrice : Bibliothèque nationale de France
Cote : GE C-9528
Une image en haute résolution, réalisée à partir de l’exemplaire conservé à la Bibliothèque nationale de France, est disponible sur Wikimedia Commons.
L’œuvre originale et l’image mise à disposition du public sont toutes deux répertoriées comme appartenant au domaine public. Elles sont présentées dans cet article comme sources historiques, avec mention de l’auteur et de l’institution détentrice.
Vérifier l’orientation de la carte
Le premier point auquel il fallait prêter attention lors de la lecture de cette carte était son orientation.
Contrairement à une carte numérique moderne, le haut de l’image ne correspond pas automatiquement au nord.
Le symbole d’orientation figurant sur la carte montre que le nord est dirigé en diagonale plutôt que directement vers le haut de l’image. Se fier uniquement à ce qui apparaît à droite, à gauche, en haut ou en bas de l’écran risquerait donc de conduire à une mauvaise interprétation des rues et des intersections.
En réalité, après avoir vérifié l’orientation de la carte, une autre parcelle que celle initialement envisagée est apparue comme un candidat plus plausible.
Calzada del Cerro et Consejero Arango
En agrandissant la carte en haute résolution, il est possible de lire les noms de rues :
Calzada del Cerro
et
Consejero Arango
À proximité de leur intersection apparaît une vaste propriété de forme irrégulière, dont l’échelle se distingue nettement de celle des parcelles résidentielles ordinaires qui l’entourent.
Parmi celles-ci, une grande parcelle attire particulièrement l’attention : elle présente une longue façade sur Calzada del Cerro et s’étend vers les environs de Consejero Arango.
Cette parcelle comprend une partie allongée donnant sur la route et une zone plus vaste s’étendant à l’arrière.
Sa forme n’est pas incompatible avec l’organisation représentée dans la lithographie de Mialhe :
une longue colonnade longeant la Calzada ;
un bâtiment principal tourné vers la route ;
des jardins s’étendant sur le côté et à l’arrière du bâtiment.
Elle est également globalement cohérente avec la description selon laquelle le jardin s’étendait jusqu’à Consejero Arango.
Le site le plus vraisemblable
Lorsque l’ensemble des sources disponibles est examiné conjointement, il semble probable que la résidence suburbaine du comte de Fernandina se soit trouvée dans :
une grande propriété donnant sur Calzada del Cerro et s’étendant vers les environs de Consejero Arango

Sur la carte interprétative préparée pour cette étude, la zone considérée comme la plus vraisemblable est entourée en rouge.
Cependant, le nom « Fernandina » n’est pas inscrit directement sur cette propriété dans la carte de 1865.
La vérification définitive par des registres cadastraux, des documents fonciers, des archives notariales ou d’autres sources primaires n’ayant pas encore été effectuée, je ne présente pas cet emplacement comme définitivement établi.
Je le désigne donc comme :
le site le plus vraisemblable de la Quinta del Conde de la Fernandina
Zone située autour de l’intersection de Calzada del Cerro et de Consejero Arango, telle qu’elle apparaît sur le Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro de 1865.
Lorsque la localisation et l’étendue approximative de la propriété décrites dans les sources sont comparées à l’organisation architecturale visible sur les lithographies, la grande parcelle entourée en rouge est compatible avec l’hypothèse qu’elle ait fait partie de la propriété du comte de Fernandina.
Cette localisation reste toutefois provisoire et nécessite une confirmation par des documents cadastraux, fonciers et notariaux.
Carte originale : Bibliothèque nationale de France / Wikimedia Commons
Recadrage et annotations : ARIRIA Heritage Collection
Près de deux heures pour confirmer les noms des rues
Cette proposition de localisation ne résulte pas simplement du report sur une carte d’une adresse trouvée dans un résultat de recherche.
J’ai agrandi la carte historique en haute résolution et vérifié son orientation tout en lisant, caractère par caractère, les noms de rues et les intersections.
Suivre Calzada del Cerro, retrouver l’inscription Consejero Arango, puis confirmer la position de l’intersection et la forme des parcelles environnantes a nécessité environ deux heures de travail.
Derrière l’image prestigieuse que peut évoquer la recherche sur la résidence d’un comte, le travail réel consistait surtout à comparer encore et encore des caractères partiellement effacés et de fines lignes tracées sur une vieille carte.
Pourtant, omettre cette étape aurait pu conduire à mal interpréter l’orientation de la carte ou la parcelle candidate, puis à présenter à tort l’emplacement comme définitivement établi.
L’IA comme point de départ de la recherche
Si l’on demande à une IA de présenter le comte de Fernandina, elle peut fournir un aperçu de la personne, de sa famille, de son titre et de sa résidence.
Cependant, ce type de réponse peut mêler des faits confirmés, des résumés de sources secondaires, un contexte historique général et des éléments d’interprétation.
Dans cette recherche, l’IA a été utilisée comme point de départ pour obtenir des termes de recherche et repérer d’éventuelles sources.
L’évaluation finale repose toutefois sur mon propre examen :
des lithographies effectivement consultables ;
des images originales des cartes ;
des titres et légendes ;
du symbole d’orientation figurant sur la carte ;
des noms de rues ;
des intersections ;
de la forme des parcelles ;
et du texte des sources publiquement accessibles.
La politique de recherche d’ARIRIA Heritage Collection consiste à ne pas adopter telle quelle une réponse générée par l’IA, mais à revenir aux documents sous-jacents et à les vérifier directement.
Documents à consulter à l’avenir
Afin d’établir définitivement la localisation, il faudra encore rechercher les documents suivants :
plans cadastraux du quartier du Cerro ;
registres fonciers ;
documents relatifs à l’enregistrement des propriétés ;
actes notariés de vente et d’hypothèque ;
documents relatifs aux saisies et aux ventes aux enchères ;
documents concernant les transferts de propriété à Pedro Lacoste ;
plans de division parcellaire de la propriété ;
concordances entre les anciennes et les actuelles adresses de Calzada del Cerro ;
permis de construire postérieurs et documents relatifs aux aménagements routiers ;
documents concernant une éventuelle transformation de la résidence en établissement médical, éducatif ou autre équipement public.
En particulier, si des documents mentionnant Pedro Lacoste — présenté comme l’un des principaux créanciers de la famille Fernandina — apparaissent dans le cadre d’une vente, d’une hypothèque ou d’une division du terrain, ils pourraient permettre de confirmer la parcelle envisagée ici.
Examiner une à une les questions encore ouvertes
Dans une recherche plus conventionnelle, identifier les armoiries figurant sur une assiette comme celles de la famille du comte de Fernandina pourrait être considéré comme l’aboutissement de l’enquête.
À ARIRIA Heritage Collection, je considère au contraire cette identification comme un point de départ.
Dans quel type de maison le propriétaire vivait-il ?
Quelle était son activité, et quel genre de vie la famille menait-elle ?
Quels objets étaient conservés dans la résidence, et quand, pourquoi et de quelle manière son contenu s’est-il dispersé ?
Pour replacer une seule assiette armoriée dans la vie et le contexte historique de son propriétaire, il est nécessaire d’examiner ces questions une par une.
Dans cette recherche, la parcelle candidate n’a commencé à apparaître qu’après avoir comparé :
une lithographie individuelle datant d’environ 1839–1842 ;
une vue architecturale figurant sur une carte urbaine de 1853 ;
une description écrite de l’étendue de la propriété ;
les noms de rues Calzada del Cerro et Consejero Arango ;
une carte en haute résolution publiée en 1865 ;
l’orientation indiquée sur cette carte ;
et le tracé actuel des rues.
La localisation n’a pas encore été établie avec une certitude complète.
Mais combler, une à une, les lacunes qui demeurent parmi les « recherches à poursuivre » grâce à des documents historiques réellement consultés constitue précisément l’objectif — et aussi le plaisir — de cette enquête.
Politique de recherche et de rédaction
Cet article a été préparé conformément à la politique de recherche et de rédaction d’ARIRIA Heritage Collection.
L’IA a été utilisée comme outil d’aide au repérage de sources possibles, tandis que les documents historiques accessibles au public, les images originales, les cartes et les informations relatives aux œuvres ont été directement examinés, comparés et évalués.
Les faits confirmés ont été distingués des interprétations. Lorsque la vérification au moyen de sources primaires, de documents cadastraux, de registres fonciers et d’archives notariales n’est pas encore achevée, toute affirmation définitive a été évitée.
Pour davantage de détails :
Politique de recherche et de rédaction d’ARIRIA Heritage Collection
https://ariria.net/blog/armorial-policy
Alla ricerca del sito della residenza del conte de la Fernandina attraverso le mappe del XIX secolo
Nel corso delle mie ricerche sulle porcellane araldiche della famiglia del conte de la Fernandina, ho iniziato a interessarmi sempre di più anche alla residenza nella quale questi oggetti potrebbero essere stati un tempo utilizzati.
In che tipo di luogo viveva la famiglia e com’era la vita quotidiana al suo interno?
E, con il progressivo peggioramento della situazione finanziaria della famiglia, quando e in che modo i dipinti, i mobili, l’argenteria, le porcellane e gli altri beni domestici un tempo conservati nella residenza furono dispersi?
Per studiare la provenienza di un piatto araldico non è sufficiente identificare il nome del suo proprietario. Solo seguendo anche la famiglia, l’attività, la vita quotidiana, le residenze e i trasferimenti patrimoniali del proprietario è possibile iniziare a comprendere il contesto storico nel quale un singolo piatto ebbe un tempo il proprio posto.
Per questa ricerca ho confrontato una litografia del XIX secolo con una carta ad alta risoluzione dell’Avana pubblicata nel 1865, restringendo l’area nella quale potrebbe essersi trovata la residenza suburbana del conte de la Fernandina nel quartiere del Cerro:
Quinta del Conde de la Fernandina
La residenza di Fernandina raffigurata da Federico Mialhe
L’aspetto della residenza del conte de la Fernandina è conservato in una litografia di Federico Mialhe, pittore e litografo francese.
L’opera è intitolata:
Vista de la Quinta del Escmo. Sor. Conde de Fernandina (Cerro)
Il titolo può essere tradotto approssimativamente come:
«Veduta della residenza di Sua Eccellenza il conte de la Fernandina al Cerro»
L’opera fu pubblicata come tavola n. 2 di La Isla de Cuba Pintoresca, una serie di stampe pubblicata all’Avana intorno al 1839–1842.
Secondo la descrizione della serie pubblicata da Cuba Museo, La Isla de Cuba Pintoresca era composta da 49 stampe dedicate all’Avana e ad altre parti di Cuba. La residenza di Fernandina era una delle 33 vedute dedicate all’Avana e ai suoi dintorni. La descrizione indica inoltre che l’opera fu disegnata e litografata dallo stesso Mialhe.
La litografia mostra la residenza rivolta verso un’ampia strada.
Al centro si trova l’edificio principale, con un frontone triangolare e un ingresso colonnato. Alla sua sinistra si estende lungo la strada un lungo colonnato. Una cancellata in ferro delimita la parte anteriore della proprietà, mentre dietro di essa sono visibili giardini e alberi.
L’edificio non sembra quindi essere stato nascosto in profondità all’interno di un giardino. Appare piuttosto come una residenza suburbana che presentava un lungo e importante fronte verso una delle principali vie di comunicazione.
L’immagine pubblicata da Cuba Museo presenta una filigrana e non è stato possibile verificare le condizioni per il suo riutilizzo. Per questo motivo, la sua riproduzione in questo articolo rimane per il momento sospesa.
La residenza compare anche in una carta dell’Avana del 1853
La stessa residenza compare tra le vedute architettoniche che circondano una carta urbana pubblicata all’Avana nel 1853:
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
Sotto l’illustrazione compare la dicitura:
QUINTA DEL E.S. CONDE DE LA FERNANDINA
L’ingresso centrale colonnato, il frontone triangolare, il lungo colonnato che si estende verso sinistra e la cancellata lungo la strada presentano caratteristiche comuni a quelle visibili nella litografia autonoma di Mialhe.
Il fatto che la residenza sia stata scelta come uno degli edifici destinati a decorare una carta dell’Avana suggerisce inoltre che non fosse considerata semplicemente un’abitazione privata, ma una delle proprietà degne di nota della sua epoca.

B. May y Ca.
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
L’Avana, 1853
Dettaglio: «Quinta del E.S. Conde de la Fernandina»
David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford University Libraries
List No. 5444.000
Il quartiere del Cerro, dove si trovava la residenza
Fonti successive dedicate alla storia dell’architettura e alla storia locale indicano che la residenza si trovava lungo una delle principali arterie del quartiere del Cerro all’Avana:
Calzada del Cerro
La proprietà viene inoltre descritta come estesa per circa 24 solares, mentre il giardino situato sul lato sinistro della residenza avrebbe raggiunto:
Calle Consejero Arango
Per verificare questa descrizione su una carta storica, ho cercato una proprietà che rispondesse alle seguenti condizioni:
affacciarsi su Calzada del Cerro;
trovarsi nelle vicinanze di Consejero Arango;
essere sensibilmente più grande dei normali lotti residenziali circostanti;
presentare un lungo fronte lungo la strada;
possedere una profondità sufficiente a comprendere sia la residenza sia i giardini.
La carta dell’Avana del 1865
Per questa ricerca ho utilizzato la carta pubblicata a Parigi nel 1865:
Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro

La carta comprende non soltanto l’antica città murata dell’Avana, ma anche le zone esterne alle mura e il quartiere del Cerro, a una scala dettagliata di circa 1:3.500.
Le principali informazioni bibliografiche sono le seguenti:
Autore e ideatore: Luigi Pelion di Persana
Incisore: J. Geisendörfer
Luogo di pubblicazione: Parigi
Anno di pubblicazione: 1865
Istituzione conservatrice: Bibliothèque nationale de France
Segnatura: GE C-9528
Un’immagine ad alta risoluzione basata sull’esemplare conservato presso la Bibliothèque nationale de France è disponibile su Wikimedia Commons.
Sia l’opera originale sia l’immagine resa pubblicamente disponibile sono indicate come appartenenti al pubblico dominio. In questo articolo vengono presentate come fonti storiche, con indicazione dell’autore e dell’istituzione che le conserva.
Verificare l’orientamento della carta
Uno dei primi aspetti da considerare nella lettura di questa carta è il suo orientamento.
A differenza di una moderna mappa digitale, la parte superiore dell’immagine non corrisponde automaticamente al nord.
Il simbolo di orientamento presente sulla carta mostra che il nord è indicato in direzione diagonale, anziché direttamente verso il margine superiore dell’immagine. Valutare la posizione delle strade e degli incroci unicamente in base a ciò che sullo schermo appare a destra, a sinistra, in alto o in basso potrebbe quindi condurre a errori.
Dopo aver verificato l’orientamento della carta, infatti, una parcella diversa da quella inizialmente presa in considerazione è emersa come candidata più plausibile.
Calzada del Cerro e Consejero Arango
Ingrandendo la carta ad alta risoluzione è possibile leggere i nomi delle strade:
Calzada del Cerro
e
Consejero Arango
Nelle vicinanze del loro incrocio è visibile una grande parcella di forma irregolare, chiaramente diversa per dimensioni dai normali lotti residenziali che la circondano.
Particolarmente interessante è una vasta parcella con un lungo fronte su Calzada del Cerro, che si estende verso le vicinanze di Consejero Arango.
La parcella è composta da una parte allungata lungo la strada e da una zona più ampia che si sviluppa alle sue spalle.
La sua forma non è incompatibile con la disposizione rappresentata nella litografia di Mialhe:
un lungo colonnato lungo la Calzada;
un edificio principale rivolto verso la strada;
giardini estesi lateralmente e dietro l’edificio.
La configurazione è inoltre nel complesso coerente con la descrizione secondo cui il giardino si estendeva fino a Consejero Arango.
Il sito candidato più plausibile
Considerando nel loro insieme le fonti disponibili, sembra probabile che la residenza suburbana del conte de la Fernandina si trovasse all’interno di:
una vasta proprietà affacciata su Calzada del Cerro e sviluppata verso le vicinanze di Consejero Arango

Nella carta interpretativa preparata per questa ricerca, l’area considerata la candidata più plausibile è stata evidenziata con un contorno rosso.
Tuttavia, sulla carta del 1865 il nome «Fernandina» non è riportato direttamente su questa proprietà.
Poiché non è ancora stata ottenuta una verifica definitiva attraverso documentazione catastale, registri di proprietà, atti notarili o altre fonti primarie, non presento questa ubicazione come definitivamente stabilita.
La definisco pertanto:
il sito candidato più plausibile della Quinta del Conde de la Fernandina
L’area intorno all’incrocio tra Calzada del Cerro e Consejero Arango, come raffigurata nel Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro del 1865.
Confrontando la posizione e l’estensione approssimativa della proprietà descritte nelle fonti con la disposizione architettonica raffigurata nelle litografie, la grande parcella delimitata in rosso è compatibile con la possibilità che facesse parte della proprietà del conte de la Fernandina.
Questa localizzazione rimane tuttavia provvisoria e richiede conferma attraverso documentazione catastale, registrale e notarile.
Carta originale: Bibliothèque nationale de France / Wikimedia Commons
Ritaglio e annotazioni: ARIRIA Heritage Collection
Quasi due ore per verificare i nomi delle strade
Questa proposta di localizzazione non è stata ottenuta semplicemente prendendo un indirizzo comparso in un risultato di ricerca e riportandolo su una mappa.
Ho ingrandito la carta storica ad alta risoluzione e ne ho verificato l’orientamento, leggendo uno per uno i caratteri dei nomi delle strade e degli incroci.
Seguire Calzada del Cerro, individuare la scritta Consejero Arango e verificare quindi la posizione dell’incrocio e la forma delle parcelle circostanti ha richiesto da solo circa due ore di lavoro.
Per quanto la ricerca sulla residenza di un conte possa evocare qualcosa di prestigioso, il lavoro effettivo è consistito soprattutto nel confrontare ripetutamente caratteri poco leggibili e sottili linee tracciate su una vecchia carta.
Omettere questa fase, tuttavia, potrebbe portare a interpretare erroneamente l’orientamento della carta o la parcella candidata, fino a presentare ingiustificatamente una localizzazione come definitiva.
L’IA come punto di partenza della ricerca
Se si chiede a un sistema di IA di fornire informazioni sul conte de la Fernandina, può offrire una panoramica della persona, della famiglia, del titolo e della residenza.
Tuttavia, risposte di questo tipo possono mescolare fatti confermati, sintesi di fonti secondarie, contesto storico generale ed elementi di interpretazione.
In questa ricerca ho utilizzato l’IA come punto di partenza per individuare termini di ricerca e possibili fonti documentarie.
La valutazione finale si basa però sul mio esame diretto di:
litografie effettivamente consultabili;
immagini originali delle carte;
titoli e didascalie;
simbolo di orientamento presente sulla carta;
nomi delle strade;
incroci;
forme delle parcelle;
testi delle fonti pubblicamente accessibili.
La politica di ricerca di ARIRIA Heritage Collection consiste nel non assumere una risposta generata dall’IA come conclusione, ma nel risalire ai materiali sottostanti e verificarli direttamente.
Fonti ancora da consultare
Per poter stabilire definitivamente la localizzazione sarà necessario approfondire in futuro i seguenti materiali:
mappe catastali del quartiere del Cerro;
registri fondiari;
documenti relativi alla registrazione delle proprietà;
atti notarili di compravendita e di ipoteca;
documentazione relativa a pignoramenti e aste;
documenti riguardanti trasferimenti di proprietà a Pedro Lacoste;
piani di frazionamento della proprietà;
concordanze tra la numerazione storica e quella attuale lungo Calzada del Cerro;
successivi permessi edilizi e documenti relativi agli interventi stradali;
documentazione relativa a un’eventuale successiva trasformazione della residenza in struttura medica, educativa o altra struttura pubblica.
In particolare, se venissero individuati documenti nei quali Pedro Lacoste — descritto come uno dei principali creditori della famiglia del conte de la Fernandina — compare in relazione a una vendita, a un’ipoteca o a una divisione del terreno, questi potrebbero contribuire a confermare la parcella candidata proposta in questa ricerca.
Esaminare una per una le questioni ancora aperte
In una ricerca più convenzionale, l’identificazione dello stemma presente su un piatto come appartenente alla famiglia del conte de la Fernandina potrebbe essere considerata il punto finale dell’indagine.
Per ARIRIA Heritage Collection, invece, considero quell’identificazione come il punto di partenza.
In che tipo di casa viveva il proprietario?
Quale attività svolgeva, e che tipo di vita conduceva la famiglia?
Quali oggetti erano conservati nella residenza e quando, perché e in che modo il suo contenuto fu disperso?
Per ricollocare un singolo piatto araldico nella vita e nel contesto storico del suo proprietario, è necessario esaminare queste domande una per una.
Anche in questa ricerca, la parcella candidata ha iniziato a emergere soltanto dopo il confronto tra:
una singola litografia databile intorno al 1839–1842;
una veduta architettonica inserita in una carta urbana del 1853;
una descrizione scritta dell’estensione della proprietà;
i nomi delle strade Calzada del Cerro e Consejero Arango;
una carta ad alta risoluzione pubblicata nel 1865;
l’orientamento indicato sulla carta;
e l’attuale configurazione delle strade.
La localizzazione non è ancora stata stabilita con assoluta certezza.
Tuttavia, colmare una per una, attraverso fonti storiche effettivamente consultate, le lacune che rimangono tra le «questioni da approfondire» costituisce proprio lo scopo — e anche il piacere — di questa ricerca.
Politica di ricerca e redazione
Questo articolo è stato preparato in conformità con la politica di ricerca e redazione di ARIRIA Heritage Collection.
L’IA è stata utilizzata come strumento di supporto per individuare possibili fonti, mentre i documenti storici accessibili al pubblico, le immagini originali, le carte e le informazioni relative alle opere sono stati esaminati, confrontati e valutati direttamente.
I fatti confermati sono stati distinti dalle interpretazioni. Nei casi in cui la verifica attraverso fonti primarie, documentazione catastale, registri immobiliari e atti notarili non sia ancora stata completata, sono state evitate affermazioni definitive.
Per ulteriori dettagli:
Politica di ricerca e redazione di ARIRIA Heritage Collection
https://ariria.net/blog/armorial-policy
Auf der Suche nach dem Standort der Residenz des Grafen von Fernandina anhand von Karten des 19. Jahrhunderts
Während meiner Forschungen zum Wappenporzellan der Familie des Grafen von Fernandina begann ich mich zunehmend auch für die Residenz zu interessieren, in der diese Stücke einst verwendet worden sein könnten.
An was für einem Ort lebte die Familie, und wie sah ihr Alltag dort aus?
Und als sich die finanzielle Lage der Familie verschlechterte: Wann und auf welche Weise wurden die Gemälde, Möbel, Silberwaren, Porzellane und anderen Haushaltsgegenstände, die sich einst in der Residenz befanden, zerstreut?
Um die Provenienz eines Wappentellers zu untersuchen, genügt es nicht, lediglich den Namen seines Besitzers zu bestimmen. Erst wenn man auch die Familie, die Tätigkeit, den Alltag, die Wohnsitze und die Bewegungen des Vermögens betrachtet, beginnt sich der historische Zusammenhang zu erschließen, in dem ein einzelner Teller einst existierte.
Für diese Untersuchung habe ich eine Lithografie des 19. Jahrhunderts mit einer hochauflösenden Karte Havannas aus dem Jahr 1865 verglichen und den Bereich eingegrenzt, in dem sich die Vorstadtresidenz des Grafen von Fernandina im Stadtteil Cerro am wahrscheinlichsten befunden haben könnte:
Quinta del Conde de la Fernandina
Die Residenz von Fernandina in einer Darstellung Federico Mialhes
Das Erscheinungsbild der Residenz des Grafen von Fernandina ist in einer Lithografie des französischen Malers und Lithografen Federico Mialhe überliefert.
Das Werk trägt den Titel:
Vista de la Quinta del Escmo. Sor. Conde de Fernandina (Cerro)
Sinngemäß lässt sich der Titel etwa übersetzen als:
„Ansicht der Residenz Seiner Exzellenz des Grafen von Fernandina in Cerro“
Das Werk erschien als Tafel Nr. 2 in La Isla de Cuba Pintoresca, einer um 1839–1842 in Havanna veröffentlichten Serie von Druckgrafiken.
Nach der Beschreibung der Serie bei Cuba Museo bestand La Isla de Cuba Pintoresca aus 49 Ansichten von Havanna und anderen Teilen Kubas. Die Residenz von Fernandina gehörte zu den 33 Darstellungen, die Havanna und seiner Umgebung gewidmet waren. In der Beschreibung wird außerdem angegeben, dass Mialhe die Darstellung selbst zeichnete und lithografierte.
Die Lithografie zeigt die Residenz mit ihrer Front zu einer breiten Straße.
Im Zentrum steht das Hauptgebäude mit einem dreieckigen Giebel und einem von Säulen getragenen Eingang. Links davon erstreckt sich entlang der Straße eine lange Kolonnade. Vor dem Grundstück verläuft ein eiserner Zaun; dahinter sind Gartenflächen und Bäume dargestellt.
Das Gebäude scheint also nicht tief verborgen in einem Garten gelegen zu haben. Vielmehr handelte es sich offenbar um ein Vorstadtanwesen, das sich mit einer langen, markanten Front zu einer wichtigen Straße hin öffnete.
Das bei Cuba Museo veröffentlichte Bild enthält ein Wasserzeichen, und die Bedingungen für eine Weiterverwendung konnten nicht bestätigt werden. Daher wird auf eine Veröffentlichung dieses Bildes in diesem Artikel vorerst verzichtet.
Die Residenz erscheint auch auf einer Karte Havannas von 1853
Dieselbe Residenz ist auch unter den Architekturansichten zu sehen, die eine 1853 in Havanna veröffentlichte Stadtkarte umrahmen:
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
Unter der Darstellung steht:
QUINTA DEL E.S. CONDE DE LA FERNANDINA
Der zentrale Säuleneingang, der dreieckige Giebel, die lange, nach links verlaufende Kolonnade und der Zaun entlang der Straße weisen deutliche Gemeinsamkeiten mit Mialhes einzelner Lithografie auf.
Dass die Residenz als eines der Gebäude ausgewählt wurde, die eine Karte Havannas schmückten, deutet außerdem darauf hin, dass sie nicht lediglich als privates Wohnhaus wahrgenommen wurde, sondern zu den bemerkenswerten Anwesen ihrer Zeit gehörte.

B. May y Ca.
Plano Pintoresco de La Habana con los números de las casas
Havanna, 1853
Detail: „Quinta del E.S. Conde de la Fernandina“
David Rumsey Map Collection, David Rumsey Map Center, Stanford University Libraries
List No. 5444.000
Der Stadtteil Cerro, in dem sich die Residenz befand
Spätere Quellen zur Architektur- und Lokalgeschichte geben an, dass die Residenz an einer der wichtigsten Straßen des Stadtteils Cerro in Havanna lag:
Calzada del Cerro
Das Grundstück wird außerdem mit einer Größe von ungefähr 24 solares beschrieben. Der Garten auf der linken Seite der Residenz soll sich bis zur
Calle Consejero Arango
erstreckt haben.
Um diese Beschreibung anhand einer historischen Karte zu überprüfen, suchte ich nach einem Grundstück, das folgende Bedingungen erfüllte:
Es musste an die Calzada del Cerro angrenzen.
Es musste sich in der Nähe von Consejero Arango befinden.
Es musste deutlich größer sein als die umliegenden gewöhnlichen Wohngrundstücke.
Es musste eine lange Front entlang der Straße besitzen.
Es musste genügend Tiefe aufweisen, um sowohl die Residenz als auch die Gartenanlagen aufnehmen zu können.
Die Karte von Havanna aus dem Jahr 1865
Für diese Untersuchung verwendete ich die 1865 in Paris veröffentlichte Karte:
Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro

Die Karte zeigt nicht nur die alte, innerhalb der Stadtmauern gelegene Stadt Havannas, sondern auch die Gebiete außerhalb der Mauern sowie den Stadtteil Cerro. Ihr Maßstab beträgt ungefähr 1:3.500 und erlaubt daher eine vergleichsweise detaillierte Betrachtung.
Die wichtigsten bibliografischen Angaben lauten:
Entwurf und Autor: Luigi Pelion di Persana
Stecher: J. Geisendörfer
Erscheinungsort: Paris
Erscheinungsjahr: 1865
Besitzende Institution: Bibliothèque nationale de France
Signatur: GE C-9528
Eine hochauflösende Abbildung, die auf dem Exemplar der Bibliothèque nationale de France basiert, ist über Wikimedia Commons verfügbar.
Sowohl das Originalwerk als auch die öffentlich zugängliche Abbildung sind dort als gemeinfrei beziehungsweise „Public Domain“ ausgewiesen. In diesem Artikel werden sie als historische Quellen präsentiert; Autor und besitzende Institution werden angegeben.
Die Ausrichtung der Karte überprüfen
Bei der Auswertung dieser Karte musste zunächst ihre Ausrichtung berücksichtigt werden.
Anders als bei einer modernen digitalen Karte entspricht der obere Bildrand nicht automatisch dem Norden.
Das auf der Karte eingezeichnete Richtungssymbol zeigt, dass Norden diagonal und nicht direkt zum oberen Rand der Abbildung weist. Würde man die Lage von Straßen und Kreuzungen lediglich danach beurteilen, was auf dem Bildschirm rechts, links, oben oder unten erscheint, könnte dies zu Fehlinterpretationen führen.
Tatsächlich trat nach der Überprüfung der Kartenorientierung ein anderes Grundstück als das zunächst betrachtete als plausiblerer Kandidat hervor.
Calzada del Cerro und Consejero Arango
Bei starker Vergrößerung der hochauflösenden Karte lassen sich die Straßennamen
Calzada del Cerro
und
Consejero Arango
ablesen.
In der Umgebung ihrer Kreuzung ist ein großes, unregelmäßig geformtes Grundstück zu erkennen, das sich hinsichtlich seiner Ausdehnung deutlich von den gewöhnlichen Wohngrundstücken der Umgebung unterscheidet.
Besonders auffällig ist ein größeres Grundstück mit langer Front an der Calzada del Cerro, das sich bis in die Nähe von Consejero Arango erstreckt.
Es besteht aus einem langgezogenen Abschnitt entlang der Straße und einem dahinter liegenden, breiteren Bereich.
Seine Form steht nicht im Widerspruch zu der in Mialhes Lithografie dargestellten Anordnung:
eine lange Kolonnade entlang der Calzada;
ein zur Straße ausgerichtetes Hauptgebäude;
Gartenflächen seitlich und hinter dem Gebäude.
Auch mit der Beschreibung, dass der Garten bis Consejero Arango reichte, ist die Form des Grundstücks im Wesentlichen vereinbar.
Der plausibelste Kandidatenstandort
Werden die verfügbaren Quellen zusammen betrachtet, erscheint es wahrscheinlich, dass sich die Vorstadtresidenz des Grafen von Fernandina innerhalb
eines großen Grundstücks an der Calzada del Cerro befand, das sich in Richtung Consejero Arango erstreckte.

Auf der für diese Untersuchung angefertigten Auswertungskarte ist der Bereich, der als plausibelster Kandidat betrachtet wird, rot umrandet.
Auf der Karte von 1865 ist der Name „Fernandina“ jedoch nicht unmittelbar auf diesem Grundstück verzeichnet.
Da eine abschließende Überprüfung anhand von Katasterunterlagen, Eigentumsunterlagen, Notariatsakten oder anderen Primärquellen bislang nicht möglich war, stelle ich diesen Standort nicht als endgültig bestimmt dar.
Ich bezeichne ihn daher als:
den plausibelsten Kandidatenstandort der Quinta del Conde de la Fernandina
Der Bereich um die Kreuzung von Calzada del Cerro und Consejero Arango auf dem Plano topográfico de La Habana, intra, extramuros y Cerro von 1865.
Vergleicht man die in den Quellen beschriebene Lage und ungefähre Ausdehnung des Grundstücks mit der in den Lithografien dargestellten architektonischen Anordnung, ist das rot umrandete große Grundstück mit der Möglichkeit vereinbar, dass es zum Anwesen des Grafen von Fernandina gehörte.
Diese Lokalisierung bleibt jedoch vorläufig und bedarf der Bestätigung durch Kataster-, Eigentums- und Notariatsunterlagen.
Originalkarte: Bibliothèque nationale de France / Wikimedia Commons
Ausschnitt und Anmerkungen: ARIRIA Heritage Collection
Fast zwei Stunden für die Überprüfung der Straßennamen
Der hier vorgeschlagene Standort entstand nicht dadurch, dass eine in einem Suchergebnis genannte Adresse einfach auf eine Karte übertragen wurde.
Ich vergrößerte die hochauflösende historische Karte und überprüfte ihre Ausrichtung, während ich die Straßennamen und Kreuzungen Zeichen für Zeichen las.
Die Calzada del Cerro zu verfolgen, die Bezeichnung Consejero Arango zu finden und anschließend die Lage der Kreuzung sowie die Formen der umliegenden Grundstücke zu überprüfen, nahm allein ungefähr zwei Stunden in Anspruch.
So eindrucksvoll die Erforschung der Residenz eines Grafen zunächst klingen mag, bestand die tatsächliche Arbeit vor allem darin, schwer lesbare Schriftzüge und feine Linien auf einer alten Karte immer wieder miteinander zu vergleichen.
Würde man diesen Arbeitsschritt auslassen, bestünde jedoch die Gefahr, die Orientierung der Karte oder das Kandidatengrundstück falsch zu deuten und anschließend einen Standort als endgültig bestimmt darzustellen, obwohl die Quellenlage dies nicht rechtfertigt.
KI als Ausgangspunkt der Recherche
Fragt man ein KI-System nach dem Grafen von Fernandina, kann es einen Überblick über die Person, die Familie, den Titel und die Residenz liefern.
Solche Antworten können jedoch bestätigte Fakten mit Zusammenfassungen sekundärer Quellen, allgemeinen historischen Kontextinformationen und Schlussfolgerungen vermischen.
In dieser Untersuchung wurde KI als Ausgangspunkt genutzt, um Suchbegriffe und mögliche Quellen zu finden.
Die abschließende Einschätzung beruhte jedoch auf meiner eigenen Prüfung von:
den tatsächlich einsehbaren Lithografien;
den Originalabbildungen der Karten;
Titeln und Bildunterschriften;
dem Richtungssymbol auf der Karte;
Straßennamen;
Kreuzungen;
Grundstücksformen;
sowie den Texten öffentlich zugänglicher Quellen.
Die Forschungspraxis der ARIRIA Heritage Collection besteht darin, eine von einer KI erzeugte Antwort nicht einfach als Ergebnis zu übernehmen, sondern zu den zugrunde liegenden Quellen zurückzugehen und diese unmittelbar zu überprüfen.
Noch zu untersuchende Quellen
Um den Standort abschließend bestimmen zu können, müssen künftig insbesondere folgende Materialien weiter untersucht werden:
Katasterkarten des Stadtteils Cerro;
Land- und Grundstücksregister;
Unterlagen zur Registrierung von Eigentumsverhältnissen;
notarielle Kauf- und Hypothekenurkunden;
Unterlagen zu Pfändungen und Versteigerungen;
Dokumente zu Eigentumsübertragungen an Pedro Lacoste;
Teilungs- oder Parzellierungspläne des Grundstücks;
Konkordanzen zwischen historischen und heutigen Adressen an der Calzada del Cerro;
spätere Baugenehmigungen und Unterlagen zum Straßenausbau;
Dokumente zu einer möglichen späteren Nutzung der Residenz als medizinische, schulische oder andere öffentliche Einrichtung.
Von besonderer Bedeutung wären Unterlagen, in denen Pedro Lacoste — der als einer der wichtigsten Gläubiger der Familie Fernandina genannt wird — im Zusammenhang mit einem Verkauf, einer Hypothek oder einer Teilung des Grundstücks erscheint. Solche Dokumente könnten dazu beitragen, das hier vorgeschlagene Kandidatengrundstück zu bestätigen.
Die noch offenen Fragen Schritt für Schritt untersuchen
In einer konventionelleren Untersuchung könnte die Identifizierung des Wappens auf einem Teller als dasjenige der Familie des Grafen von Fernandina bereits als Abschluss der Recherche gelten.
Bei ARIRIA Heritage Collection betrachte ich diese Identifizierung dagegen als Ausgangspunkt.
In welchem Haus lebte der Besitzer?
Welcher Tätigkeit ging er nach, und wie sah das Leben der Familie aus?
Welche Gegenstände befanden sich in der Residenz, und wann, warum und auf welche Weise wurden diese später zerstreut?
Um einen einzelnen Wappenteller wieder in das Leben und den historischen Zusammenhang seines Besitzers einordnen zu können, müssen solche Fragen Schritt für Schritt untersucht werden.
Auch in dieser Untersuchung wurde das Kandidatengrundstück erst sichtbar, nachdem folgende Materialien und Informationen miteinander verglichen worden waren:
eine einzelne Lithografie aus der Zeit um 1839–1842;
eine Architekturansicht auf einer Stadtkarte von 1853;
eine schriftliche Beschreibung der Größe des Grundstücks;
die Straßennamen Calzada del Cerro und Consejero Arango;
eine hochauflösende Karte aus dem Jahr 1865;
die auf dieser Karte angegebene Orientierung;
sowie der heutige Straßenverlauf.
Der Standort ist noch nicht mit vollständiger Sicherheit bestimmt.
Die noch offenen Punkte der weiteren Forschung anhand tatsächlich eingesehener historischer Quellen Schritt für Schritt zu schließen, ist jedoch genau das Ziel — und zugleich der Reiz — dieser Untersuchung.
Forschungs- und Redaktionsrichtlinie
Dieser Artikel wurde in Übereinstimmung mit der Forschungs- und Redaktionsrichtlinie der ARIRIA Heritage Collection erstellt.
KI wurde als Hilfsmittel bei der Suche nach möglichen Quellen eingesetzt. Öffentlich zugängliche historische Dokumente, Originalabbildungen, Karten und Informationen zu den betreffenden Werken wurden dagegen unmittelbar geprüft, miteinander verglichen und bewertet.
Bestätigte Tatsachen wurden von Interpretationen und Schlussfolgerungen unterschieden. Wo eine Überprüfung anhand von Primärquellen, Katasterunterlagen, Eigentumsregistern und Notariatsakten noch nicht abgeschlossen ist, wurden endgültige Aussagen vermieden.
Weitere Einzelheiten finden Sie hier:
Forschungs- und Redaktionsrichtlinie der ARIRIA Heritage Collection
https://ariria.net/blog/armorial-policy
Akane
heritageresearch
アーモリアル陶磁器と紋章文化を、個人研究として記録・考察しています。 いつか、おばあちゃんになったら、静かなミニ紋章ミュージアムを開くのが夢です。
